彼女たちの時代、そして10年後

8月上旬、社内ラジオでSPEEDばかりが流れていた。うんざりするくらいに。

私にとって彼女たちは、生まれてはじめての「同世代アイドル」だった。今井さんが私と同学年、島袋さんは私より年下。年下!2歳も年が違えばそれは非常に大人のお姉さまだった女子中学生の私にとっては、それは脅威に近かった。
MステもHey!Hey!Hey!もほとんど観ない家で育った私はアイドルには疎い子どもだったし、なにしろ親が当時流行っていた「キィの高い声で英語の入った歌詞を歌い上げる」文化に対して否定的であり、私としても周囲ほど彼女たちを良いミュージシャンだと思っていなかったのだけれど、それでもやはり、彼女たちは眩しかった。
広く世間に認められ、生徒や子どもという不安定な身分ではない「自分にしかないもの」を持ち、相応しい居場所を与えられているように見えたから。それは例えば甘やかな王子様願望に近い。ある日突然、世間的に優れた地位にある誰かが自分の目の前にあらわれて「あなたは特別なひとだ」「あなたはここへくるべきだ」と言って、華やかな世界へ連れていってくれるんじゃないかという願望。一見ふつうの女の子である彼女たちは、そういう自己投影の手段として非常に適切に思えた。

今、彼女たちの音楽を聞いてみると「109みたいだな」と思う。甲高い声で若さの眩しさを歌い、そこには何の郷愁も存在しない。あるのは「今のあたし」と「明日の(あるいは3ヵ月後の)今よりちょっと素敵になったあたし」だけ。手を伸ばせばきっと手に入る。くだらないしがらみ(部活や先生や勉強や)から解き放たれて、素敵な恋人や友達が今より素敵な自分を認めてくれる世界。109で売っている服みたいに、綺麗でおしゃれで流行の先端を行っていて、でも簡単に手に入る「素敵な自分」しか歌っていないのだ。描かれるのはダイヤモンドやシャネルやプラダより、もっと簡単に手に入るもので構成されたマテリアルガール。
でも忘れてやしないかい?109で育った女の子が東急百貨店で買い物をするには、ゲシュタルト・チェンジが必要なのだよ。(その中継地点にマルイがあるような気がすることは置いておく)

「今が旬の毎日だから人より多く生きていたい」という歌を聴いていたのは10年も前。でも、女の子の旬が14や15の頃だとは到底思えない。少なくとも私にとっては。「本当の自分」がどこかにあると信じていたけれど、結局そんなものどこにもなかった。好きなことや素敵なことを数え、嫌いなことは我慢して一歩ずつ生きるしかないと今は思う。
スカート丈や髪型や、そういった面倒な校則さえなくなれば自由だと信じていたけれど、結局今だってそれほど自由じゃない。あの頃は化粧をするなと言われたけれど、今は化粧をしろと言われている。それだって充分に不自由なこと。そしてもう、彼女たちに私が憧れを抱くことはない。私が服や靴や鞄を買うために109に行きたいとは思わないように。

20代後半にもなって「友達サイコー!」というナレーションをする彼女たちを観たいわけじゃなかったのに。「あなたは特別なひとだ」と囁いてもらえる誰かが幻想だとしても、その後必死に格闘することで幻想を真実にしている女たちは山ほどいる。

8月上旬、社内ラジオでSPEEDばかりが流れていた。うんざりするくらいに。
彼女たちをアイドルとして憧れ、振付の真似事をしていた当時の同級生たちは、今の彼女たちに何を考えるのだろうと思った。