2013冬季国体見てきたよ。

正式には「スポーツ祭東京2013冬季大会」…なのですが。
まあ、観てきたといっても観れたのは成年女子のFS、しかも上位2グループだけでしたが。それでも、観に行ってよかったなと思います。いわゆるトップ選手ばかりが出るグランプリシリーズ等とは違い、中心となるのは大学生スケーターたちで、だからこそ観えるものが多かった。
考えてみれば当然なのだけれど、強く感じたのは「あ、この競技は寂しい競技だな」というもの。あんなに広いリンクで転んでも音楽はどんどん進んでいくし、先生も仲間も観客も助けることはできない。すぐ立ち上がって笑顔で次の課題に移らなくてはいけない。それはとても寂しく辛いことに見えました。
あと、最終グループに入ったときのリンクの狭さにも驚きました。その前の6分間練習ではリンクはとても広く見えたのに、突然ぎゅっと狭く見えて「こんな広さじゃ選手同士ぶつかるんじゃないか」と思ってしまった。選手の技術があがったことをこんなに如実に感じたのは初めてだと思う。
なんせ国体なので様々な選手がいて、オリンピック代表だった選手や次にそれを争う選手もいれば、これで引退の選手も、引退したけれど戻ってきた選手もいる。そのモチベーションが様々であることが、とても素敵に見えました。
特に澤田亜紀ちゃんの滑った「篤姫」は素晴らしかったです。スケートから遠ざかっていて国体のために戻ってきたので、3回転のジャンプはトウループがせいぜいといった感じでしたが、何から何まで丁寧に気持ちを切らさずに滑っていたのが印象的でした。彼女は四大陸選手権で4位入賞を果たしたこともある素晴らしい選手ですが、体型変化からのシニア移行がなかなかうまくいかなくて、現役時代の最後の方はジュニアの頃の期待度からすると少しだけ残念なものだったと思います。もちろん、彼女のスケートはいつも素敵だったし、けっこう気持ちが顔に出る子なので、彼女なりに納得して、スケートが好きなんだろうなと思ってはいたけれど。成績が落ち込んでしまったシーズンのことを「スケートと喧嘩していた」と表現した頃に比べれば、ずいぶんスケートと仲良くしているものだと思ってはいたけれど。
引退して、改めて呼ばれて戻って、代々木第一体育館で演技をする。それは競技人生からすればフィナーレの後のアンコールみたいなものかもしれない。でも私は彼女のアンコールを現地で観れて良かったなと思う。優しい雰囲気のスタートのポーズ、回転数は少ないけれどきっちりしたジャンプ、きれいで速いスピンや柔らかいスケーティング、そして何より今の彼女が、かつて「スケートと喧嘩していた」彼女が思いがけずここでスケートと再会して、丁寧で素敵な演技を見せてくれたことが嬉しくて、感動的で、まさに銀のロマンティックだなあと思って泣いてしまった。泣いていたのは私だけではなく、周りのお客さんもけっこう涙ぐんでいた。スタンディングオベーション、そして客席から聞こえた「亜紀ちゃんありがとう!」の声。手を振って深く礼をした彼女の姿。忘れられないシーンでした。

他にも長谷川奏ちゃん(埼玉)が素晴らしい演技を見せて会場を沸かせたり、村元小月ちゃんが引退試合で素晴らしい演技をして泣いた…と思ったら誰よりも泣いていたのが妹の哉中ちゃんだったり、村主さんは相変わらず村主さんで美学のあるスケートをしていたり、今井遥ちゃんに対してお客さんが最初から「うちの遥」状態で盛り上がっており、しかもとーってもいい演技だったもんだから点数が出るまでの手拍子が大変なことになっていたり、あっこちゃんのしんどそうな感じが心配だったり、語り尽くせないほど面白かったです。
やっぱテレビで観て「スケート面白いな」と少しでも思った人には、一度生で観てもらいたい、できれば試合をと思ったのでした。シニアの大きい大会はチケット取れないけど、国体、ただだし。

ベジャール・ガラ観てきたよ

ブログのほうにつきましてはお久しぶりであります。
東京バレエ団はギエムがボレロやったとき以来。3年は前だな。ていうか感想書いてないな…というわけで、東京文化会館ベジャール・ガラを観てきました。演目は「ドン・ジョヴァンニ」「中国の不思議な役人」「火の鳥」。
ドン・ジョヴァンニ
これは数年前も観たけど、けっこう好きな演目です。要は「女性たちとプレイボーイ」を描いたモーツァルトのオペラにかこつけて「バレリーナと権力者」みたいな図なわけで、バレリーナにとっては絶大なる権力者だったであろうベジャールがこれを女性たちに振りつけたのは物凄く意地悪だなーと思ってぞわぞわする。でも好き。バレリーナたちはにこにことキャッキャウフフしながら「私を見て!私の魅力に気づいて!」という芝居をしていて、私はとにかくそういう気の強い女の子の自己主張がとても好きだ。最初のポーズからしドガの絵みたいで可愛らしいし、ラストのオチもキュート。あと、本を持ってる子が今井遥みたいで可愛かった。
中国の不思議な役人
「客引きをする娘」と「若い男」が男女逆転。しかもどうやら原作は「娘が脅されて嫌々ながら客引きを」みたいな感じらしいけど、ベジャール版は毒婦のドラッグクイーンといった風体。途中何度かバレエにあるまじき感じで廃退的な歩き方をするシーンがあってゾクゾクした。奇妙な客人である「中国の役人」とどっちに感情移入できるかといったら役人なんじゃないかという感じ。役人も気持ち悪いんだけど、妙にピュアなところがあって憎めない。でもやっぱり怖い。ぐるぐるといろんなものが揺らいでいく感じが圧巻でした。中国の役人役の小林十市さんはフランスに行かれるとのこと。花束を貰って涙ぐんでいた。晴れ舞台に相応しい素晴らしい演技だったと思います。ちょっと言葉にならない。
火の鳥
みなさん大好き、町田樹のFSでもお馴染みのあのプログラムをベジャールが!さすが先生、一筋縄ではいかず、火の鳥の衣装が「鳥」というよりは「体操ニッポン」「グリコのお兄さん」ちっく。ラストのポーズもなんだか出初式みたいでおめでたい感じ。しかし「肉体の持つ生命力」で「火の鳥」を語ろうという感じが意欲的で、やはり素晴らしい感性の持ち主だったんだなーと思いました。
今回、運よく前から4列目だったので、本当にいろんなものがよく見えました。よく見えるわりにバレエで最重視してるポイントでもある「足の甲」が死角だったのは残念ですが、贅沢言っちゃいけません。「ドン・ジョヴァンニ」のときはバレリーナの女性たちの鎖骨の下側が浮き出てるのを見て「ごはんたべて!」な気分に一瞬なりかけたり、「中国の不思議な役人」の娘役ダンサーさんのメイクが森山未來のヘドヴィクみたいだったり、引き摺られていく中国の役人の叫び声がばっちり聞こえたり、小林さん泣いてたっぽかったり「火の鳥」の汗が飛び散っていたり、色々興味深かった。本当に楽しかったなー。
思わぬ邂逅もあったりして、本当に楽しい一日であったよ。

こどもの体温

朝日新聞に掲載された春名風花さん(以下はるかぜちゃん)の「いじめている君へ」の評判がいいようです。
というか、あの文章がきっかけで、今まで彼女を知らなかった人の目に彼女が止まるようになり、なんとなく騒がしくなっているなという印象。
http://www.asahi.com/national/update/0816/TKY201208160557.html
彼女の感性は素晴らしいし、注目を浴びる理由はわかります。
でも何故かここへきてやたら彼女を持ち上げまくる人間がどどっと増え、「彼女の『いじめている君へ』は『アンネの日記』に匹敵するエポックだ!」とまで言い出す人が出てくると、ちょっと待て!と言いたくもなるんですよね。
確かにはるかぜちゃんの「視点」は素敵に斬新で、どこかなつかしい。
「なるほどねえ」「確かにそうね」「うん、それは素敵だと思うよ」と言いたくなるような言葉を持っています。
でも、それは「子どもの視点」だからなんじゃないかな、とわたしは思います。
そして、大人が子どもをそんなに持ち上げてやるなよ、とも。
小学生も高学年くらいになると、聡い子というのはかなりいます。話していると、思わずこっちが唸るような論理を持ち出す子も。作文や発表の上手な子、絵が「子どもとは思えないほど」上手い子も。
特にはるかぜちゃんは「文章を書いて人に伝える」以前に子役であり、せいぜい親や先生くらいしか交流すべき大人がいない「普通の小学生」とは違い、いわば思考に対するエリート教育を受けてきた子どもなので、感性や表現力が磨かれる土壌は十分にあるんですよね。
だから、騒ぐほどのことでもないんじゃないか、と。
そうわたしが思うのは、はるかぜちゃんが出てくるずっと前に「この小学生はすごい!」と思うものを読んでいたから。それは一時期「角川文庫の夏の百冊」にも必ず入っていた、華恵の「小学生日記」だ!

小学生日記 (角川文庫)

小学生日記 (角川文庫)

これに収録されている名文「ポテトサラダにさよなら」は作文コンクールのサイトでも読めます。
【小学校高学年】「ポテトサラダにさよなら」東京都文京区立 林町小学校5年 矢部華恵
ひさしぶりに読んだけれど、やはり名文。自分にとって大事なことを書いているのに、感情で脱線していない。作文の中に出てくる「わたし」を丁寧に客観視できています。短い文章でわかりやすく場面を切り取り、「そのとき理解しきれなかったこと」を、理解しきれないという感覚ごと書けています。自分が感じ取りきれなかったことって、なかなか書けないんですよね。書けたとしても冗長になってしまう。
「なぜ、わたしは理解しきれなかったのか」「なぜ、わたしはこう思ったのか」―――
はるかぜちゃんも華恵さんも、普通の小学生なら(大人でも)放り投げてしまう感覚を丹念になぞって文章にできています。これは才能でもあり、子役やモデルとして「感じたことを表現する訓練」をしてきた結果なんだろうけれど。
華恵さんは現在、東京藝大に通っているということなので、文筆業やモデル以外の才能もあるのでしょう。「小学生日記」後も本を出版し、雑誌に連載を持ち、NHKとかの教養番組のゲストをやっていたりして、派手ではないけれどタレント活動も順調な様子。彼女が順調に大人になっていることを、とても嬉しく思います。
一方のはるかぜちゃんについては、発表の場としてWEB、しかもTwitterを選んできたのが、裏目に出ないといいな、というか。ここまで「はるかぜちゃんの作品」が多くの人に知れてしまった以上、そろそろTwitterという表現媒体はスピードが速すぎるんじゃないかな、と思うんですよ。
彼女はこれから悩み多き思春期を迎えます。思春期の悩みや摩擦や軋轢は、小学校時代の比ではないでしょう。学校でもお仕事でもストレスが増える時期に、いい大人にとってもストレスフルでスピードの速いTwitterに活動の場を置くのは、けっこう大変なんじゃないだろうか。ここまで有名になったんだから、もっとゆったりとした場で彼女の「言葉」に耳を傾けてくれる人も多いんじゃないか。
たとえ素敵な感性の持ち主でも、子どもは子ども。
その前提を忘れて彼女を叩く人や持ち上げすぎる人ではなく、「きみの人生の先輩」として、大人の立場から丁寧に目線を合わせて彼女に接してくれる人のいる場所で、はるかぜちゃんの感性は発揮されたほうがいいんじゃないかな、とわたしは思います。10代の子に、そこまで自衛の手段があるとは思えないし。
あと、こういう子は中学以降クラスでも浮きがちになってしまう傾向があるので、学校選びはきちんとやったほうがいいなとも思います。
まあ、文章を書く上でのキャラクタライズとはいえ、自分を「ぼく」と呼んでいる時代のことは彼女自身が「あれって自意識過剰…ていうか痛い…『わたし』でいいやん…」と思ってしまう黒歴史になる可能性が高いと思うので、うまいこと成長してくれて、「文筆業としてはけっこうな美人」くらいのポジションで、乙武さんなんかと過去を振り返る対談をして、

乙「はるかぜちゃん…あ、今は春名さんのほうがいいね」

春「あ…はい」

乙「あの頃、君は一人称が『ぼく』だったわけだけれど」

春「はい。まあ、あれは…若かったなと(赤面)」

乙「売られた喧嘩は即買いだったしね」

春「もう、やめてください(苦笑)」

乙「(ニヤニヤ)」

みたいなやりとりがダヴィンチとか文藝とかの上で行われていたらその号はぜったい買うので、あまりすり減らさずに生きてほしいなあということです。
とりとめもなく、おしまい。

あの日、あのとき、円形で。そして今、吉祥寺で。

お久しぶりでございます。あ、ざっと1年。ひどいぜわたし。
まあ、はてなハイクのほうには普通に顔を出していますが。なにぶんハイクに長文投稿ができるので、だんだんダイアリーを書かなくなってしまうのよね。人間は楽な方に流れてしまうという悪しき例ですな。

さて、お久しぶりのカンゲキロク。「モマの火星探検記」少年社中@吉祥寺シアター

わたしが初めて少年社中に出会ったのは、青山円形劇場で2004年に上演された「ハイレゾ」でのこと。斬新でスピード感のある演出と若さあふれる俳優陣、複雑な人間関係が終盤にどーんと一本につながるストーリー展開にすっかり虜になって、それからはほとんどの作品を観てきている。あのとき観た「ハイレゾ」がわたしの心に刺さらなかったら、この劇団を観続けていないだろう。
だから「モマの火星探検記」の副題が「Inspired by High-Resolution」だと知り、とても期待しながら劇場へと向かった。
結論から言えば「ハイレゾが好きすぎて楽しめなかった作品」なんだけど。
たぶん、いい話だったと思う。体術もかっこよかったし、キャラクターの設定も良かった。でも観ている間「わたしが愛したハイレゾはこれじゃない」という気持ちが強すぎて、なんとも辛い公演だった。森大さんの劇団員として最後の公演で、まじめな役をやっている彼を見るのは久しぶりで、しかもそれがとてもかっこよかったのに、素直に受け止められなかった。
まあ、色々と不毛だということはわかったうえで、自分のために「ハイレゾ」と「モマの火星探検記」の比較レビュー。

★作品のあらすじと構造
この2作品はどちらもふたつのパートで成立している。大きく異なるのはAパート。
ハイレゾ」A
舞台はタオグラードという架空の帝国。イワン・スプートニクはあるディスクのメッセージを聞き、地球外生命体の存在を確信した。その謎を解き明かすため宇宙飛行士を目指すイワン・スプートニクは、仲間たちとともに科学アカデミーで訓練に励むことになる。その中には昔馴染のイリーナ・ソユーズともおり、すべては順調に進んでいるかのように見えた。
しかし、開発を妨害する他国の脅威が迫り、宇宙開発どころではなくなる帝国。
ロケット計画が中止になろうとする中、夢を捨てられないイワンはロケットでの出発を強行突破しようとする。それは、戻る当ても助かる当てもない無謀な挑戦でもあった。
必死で恋人の行動を止めようとするイリーナを振り切り、イワンは「必ず帰る」と言い残して宇宙へと旅立つ。
宇宙開発の技術者だった父は開発中の事故で帰ってこなかった。そして宇宙はまたもわたしの大切な人を奪っていく。飛び立つロケットを見つめながらイリーナは「私、待たないから!」と叫ぶ―――(だいたいこんな感じ。だいぶ忘れてるところもあると思う)

「モマの火星探検記」A
2033年、火星探査のために各国から優秀な宇宙飛行士7名が集められた。その中の一人・モマは悩んでいた。妊娠した恋人にプロポーズするも振られてしまい、父親の死に目には会うことも出来ない。飛行士仲間には、自分の国が海に沈んでしまう者も、母国同士が戦争になりそうな者も、航海中に息子を不幸な事故で亡くした者もいる。自分は何をやっているのか。何のために生きるのか。それを一緒に探すといった父親に会うこともできない。
悩みを抱えながら火星に着いたモマのもとへ、子どもが産まれたという知らせが届く。心から喜び、まだ見ぬ子へのメッセージを録音するモマだが、探査中に事故にあった仲間を助けに行った先で、自分がさらに酷い事故に巻き込まれてしまう。もはや誰も助けることの適わぬ状況で弱っていくモマ。彼を置いていくしかない仲間たち。
そしてモマは最後に恋人のもとへ「必ず帰る」とメッセージを送る。
宇宙開発の技術者だった父は開発中の事故で帰ってこなかった。そして宇宙はまたもわたしの大切な人を奪っていく。そう思いながらも愛情を捨てられない恋人は、モマのメッセージを聞き、「わたし、待たないから!」と叫ぶ。
その頃モマは薄れゆく意識の中で父親の幽霊と出会い、自分の見つけた「なぜ生きるのか」の答えを伝えていた―――

ハイレゾ」「モマの火星探検記」B
ユーリはおてんばな女の子。お母さんにはしょっちゅう「女の子なのに」とため息をこぼされている。今はロケット作りに夢中。会ったことのない父親の部屋で見つけた資料をもとに、友だちとロケット作りにいそしんでいる。
彼女はある日、謎のおじさんに出会う。やたらと宇宙に詳しいその人は、歌を教えてくれたり、ロケットづくりに協力してくれたり、何かと彼女たちの世話を焼きたがる。
宇宙嫌いのお母さんと対立しながらも、小型ロケットはついに完成。
しかし最終テストの日、ユーリはおじさんにが遠くに旅立ったこと、もう会えないことを知る。
お母さんが見守る中、ユーリは仲間たちとメッセージを載せたロケットを飛ばす。飛んでゆくロケットを見つめながらユーリは、今度は自分がロケットに乗って宇宙へ行こうと考えていた。
==============================
もうおわかりだと思いますが、Aパートは親世代、Bパートは子ども世代ということです。宇宙に魅せられた飛行士と、宇宙およびそれを愛する男たちに複雑な思いを抱えている女の話がAパート。Bパートで出てくるその娘・ユーリも宇宙に魅せられ、空高くへと夢を馳せていく。これはそういうスペースロマンなのです。物語は両方とも、宇宙へ行くことを夢見始めたユーリが父親と出会い「はじめまして」と言葉を交わすところで終わります。(「ハイレゾ」では、イワンが手に入れたディスクが、時間を超えたユーリのものだということも明らかになります)
このふたつの話のテーマは「時間を超えてつながる思い」とか「宇宙への情熱」なので、「モマの火星探検記」が「Inspired by High-Resolution」であることには、何の問題もないとは思うのです。
問題はAパートの設定がここまで違うのに、「ハイレゾ」のBパートをそのまま使ったこと。というか「ユーリの母親」の直面する状況が、物凄く違うこと。

★ユーリの母、またはイリーナ・ソユーズ
ハイレゾ」のイリーナ・ソユーズは宇宙飛行士の訓練生です。父親を宇宙開発のために亡くしたことから、宇宙に対して複雑な思いを抱きながらも、
父の思いを理解したくて、宇宙開発に自らの身を投じる。しかし最終的には宇宙飛行士の夢よりひとりの女として行動し、決死の飛行を試みるイワンを止めようとするも「子どもができたの」という最終兵器を持ち出せず、飛び立つロケットを見つめながら「待たないから」と叫び、Bパートでは宇宙からはすっぱり縁を切ったようでいて(それが政治的な理由なのか個人的な理由なのかは明らかでない)宇宙関連の書籍や資料、イワンの手紙は捨てられず、そのくせ宇宙へ興味を持った娘のロケットづくりを妨害し、それでも最終的にロケットを飛ばす娘を微笑んで見守る、アンビバレントな存在です。
父親のことを許しきれないなら、なんで宇宙飛行士になろうと思ったの?
イワンを止めるなら「子どもができたのよ!」と言えばいいじゃない。
宇宙を憎んでいるのに、自分の娘にイワンが憧れていた宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンの名前を付けたのはなぜ?
本当は好きなんでしょ、父親が。イワンの無謀さが。そして何より宇宙が。好きだから今でも許せないんでしょう?
ハイレゾ」は、宇宙に対する愛憎渦巻くイリーナが、ユーリの飛ばすロケットによって自分の中のわだかまりと和解していく物語でもあった。「モマの火星探検記」の「お母さん」は、そのあたりがどうも薄い。
父親が宇宙開発の技術者だったという点は一致している。開発中の事故で死んでしまったことも。恋人が自分を省みず宇宙へ行ってしまったことも一致している。でも、決定的に違うところがいくつかある。
その最たるものは「イリーナは宇宙飛行士だが『お母さん』は一般人」ということ。
「お母さん」も「お父さんを好きだったから理解しようとしすぎて、お父さんみたいな人を好きになって、また宇宙に奪われてしまった」という台詞があるけど、なんかそれ普通なんだよ。自身も宇宙飛行士で「宇宙へのロマンと普通の幸せ」の間でぐらついていたイリーナに比べるとふり幅が薄い。

★モマとイワンのロケットの違い
モマもイワンも宇宙探査が「帰らぬ旅」になってしまったことは一致してる(まあイワンはスーパーナチュラルな理由で生き残っていてもおかしくない世界観ではあったが)。けれど、モマの火星探査はしっかりした国家機関のしっかりしたプロジェクトで、もちろん不測の事態はいくつも起こるのだけど、ちゃんと帰ってこられる旅なんですよね。モマが不幸な事故に巻き込まれただけで、他の宇宙飛行士たちは帰ってきてるし。
イワンの宇宙探査はもっと無謀というか、国はもう「お前たちを宇宙には行かせない」と言っているし、イワンたちの前任は他国に追撃されて死んでるし、ていうか戦争起きるし、もはや確かなサポートは望めない。それを「ふざくんなボケ!」と逆切れして宇宙へ行こうとするのだから、無謀もいいとこです。盗んだバイクで走り出したり校舎の窓ガラスをバットで割るレベルの大暴走です。
もちろん個人的な感覚のレベルでは「恋人と別れる=死んだも同然」みたいに思ってしまうときもあるし、巷には上京するだけで永遠の別離みたいな気分になってしまう歌が山ほどあるので、感情が物理的な状況に勝るということもあると思います。
でも、観客の目線からすると、「モマ」の場合は「お母さん=恋人」がモマのプロポーズを断る理由が、拗ねてるだけっぽいというか、我侭っぽいんですね。モマも女心がわかってないけど、Aパートの恋人には共感できない。というか、初演でこれなら納得したかもしれないけど、イリーナの苦しみを知っている身からすると、恋人は「お前その程度で」感がぬぐえない。
少なくとも、火星からの二度目のプロポーズを断るシーンはいらなかったんじゃないかなあ。モマが帰って来れないことを知ってからプロポーズの録音データを聞いて「待たせてもくれないくせに!」くらいのほうが、この恋人なら良かったんじゃないかなあ。

★「おじさん」の正体
ユーリにロケットづくりを教えてくれる「おじさん」は、ハイレゾとモマではだいぶ設定が違う。
ハイレゾでの「おじさん」の正体はデューク・ヴァンガード。イワンとイリーナの飛行士仲間であり、亡命してきた優秀な宇宙飛行士。一度は飛行士に選抜されるも、病気を抱えているためイワンが繰り上げ合格になってしまう。
Bにおけるデュークの心情はあまり語られないけれど、彼が抱えている、自分の夢を託したイワンへの思い、自分が夢を託したせいで恋人を失ったイリーナへの思い、そしてその娘であるユーリへの思い、いまだ潰えぬ宇宙への思いが、ふたつの物語のハブとしての役割を果たしていた。
モマでの「おじさん」は正体不明の幽霊。最初はユーリにしか見えていない(そのうち他の子ども達にも見えてくるのだけど、その理由は一切告げられてなくて少し片手落ちだなと思った。子ども達には最初から見えていて、幽霊であることが最後にわかる構成でも良かったんじゃないかな)。おじさんの登場シーンはBパートのみなので「ユーリの両親のことを知っている誰かの幽霊」という状況が続く。最終的に「おじさん」が瀕死のモマのもとへ現れ、おじさん=モマの父親・ユーリの祖父ということが明らかになる。
おじさんを演じた唐橋さんはワイルドイケメンなおっさんで、すごく素敵だった。しかしこの設定だと、モマの恋人と父親の関係がまったくわからないんだよな。恋人の父親って微妙じゃないですか。義理の親子クラスの場合もあれば顔すら知らない場合もあるし。
「孫娘に会えなかった息子のかわりに祖父が孫娘の面倒を見る」というのは悪くない設定なのだけど、ラストシーン間近であっさりと「おじいちゃんよ。お父さんのお父さん」というお母さんに「え、知ってたの!?」とこっちも思ってしまった。まだ嫁と舅ならわかりやすかったのに。
お母さんのあそこでの台詞が「単なる説明」になっているのはかえすがえすも残念。モマ父とお母さんの間に何かエピソードがあれば、また一段感動的だったと思う。

★ふたつのパートをつなぐもの
「ユーリとイワン、あるいはユーリとモマが親子である」こと。これがふたつの物語をどーんと繋ぐエピソードなのは、どちらの作品も同じ。

ただ「ハイレゾ」で複層的に繋がれていたいくつかのエピソードは「モマ」において省略されている。
イリーナ・ソユーズが宇宙飛行士を目指し、宇宙を憎み、娘を通して再び宇宙と仲直りすること。
デューク・ヴァンガードが自分の夢を託した男の遺児に出会い、再び夢を託すこと。
イワンとユーリが「まだ見ぬ誰か」への思いを宇宙に託していること。
「父とイリーナ」の構造が「父とユーリ」の構造にも影響を与えていること。
あと、ユーリの名前の由来も、モマは「モマが名付けたいと思っていた名前」なんだけど、「ハイレゾ」では「イワンが憧れた飛行士、ユーリ・ガガーリンにちなんで」なんだよね。「モマ」の世界観だとユーリは女の名前だけど、「ハイレゾ」では男の名前。
もちろん「モマ」においても、あれだけプロポーズを断り、許す気はないことを明言していた恋人が、モマが逝く前の希望を汲んで娘をユーリと名付けたのは泣けるポイントなのだけど、どうしても、宇宙を憎んでいるはず、自分を省みず決死の旅に出た恋人を憎んでいるはずのイリーナが、娘にわざわざ恋人が憧れた宇宙飛行士(男)の名前を付けたというのに比べるとね。どうにもテンション下がるのよね。
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Inspired by High-Resolutionはいいと思うんですよ。
でも、イワン・スプートニクを、イリーナ・ソユーズを、道士や皇帝やタオグラードをなかったことにしてほしくなかった。
あれはわたしの大切な作品だったのに。
確かにわかりやすいとは言いづらいファンタジーで、若さゆえの盛り込み具合が半端ない話かもしれないけど、そういう青さも含めて「ハイレゾ」だったのだし、それを簡単に他作品にドッキングしてほしくなかった。
若い「ハイレゾ」を大事にしたうえで、今の宇宙飛行士譚「モマの火星探検記」を描くことはできたと思う。
ユーリをモマの娘にせずとも、宇宙飛行士を目指すユーリが宇宙を憎む女に出会う話とかもできただろうし、そういう話が観たかった。そういう「Inspired by」が観たかった。
「宇宙少女ユーリ」の後日譚、「ハイレゾ」の続編としての「モマの火星探検記」なら素直に祝福できたのに。
ハイレゾ」がこういう形でしか残らないなら、悲しいとしか言いようがない。
もちろんこれはただの我侭。
もう上演されない作品が山ほどある世の中で、こうして残るだけでもラッキーと言えるとしても。

フレンズ・オン・アイス見てきました記

お久しぶりです。あ、来年からの転職が無事に決まりました。なにかと厳しい業界ですが、これが天職だ!と言えるように頑張ります。
さて、本題。フレンズ・オン・アイスに行ってきました。チケットが発売されたときは正直どうなるかわかってなかったので、今年も無理かなーと思っていたのです。が。
美姫ちゃんの参加、高橋君の復帰、そして何よりイリーナ・スルツカヤの参加というサプライズに直面したら、行くなら今しかねえ!と思っちゃったんですよねえ。幸い、公演1週間前という時期にチケットを入手することができ、初フレンズしてきました。いやあ、幸せだった。以下、印象に残ったところなど。
・翔子ちゃんのミス・サイゴンはオープニング→「世界が終わる夜のように」が中心でした。死なないキムふたたび。他の部分がどうなっているのか気になります。「命をあげよう」使ってるのかとか。しかし彼女、洗練されましたね。
・ジュニアの鈴木さんも溌剌としていて可愛らしかったなー。すくすくと伸びてほしいと思いました。
・岳斗先生のノリノリっぷりが凄かった。帽子プロのジャンプノーミスでガッツポーズ出たよ!は単なる序章に過ぎなかったのは後述。あと、近くで見ると本当にイケメンでした。
・あっこちゃんはバーレスク。踊るの大好き!っていう感じがして幸せなプロでした。あの金色の衣装、近くで見るとドキドキするよね。
・本田先生の大きさと温かさは特に2プロ目の「エトピリカ」で発揮されていたのですが、なんとフィニッシュポーズでよろけて笑いを取るというサービスをしてしまい。そのあとで苦笑いしながらポーズ取り直すところがお茶目で良かったです。
・初の生イーラは恐ろしく可愛かった。溌剌としていて、笑顔が素敵で、まさにアイドル!特に2曲目の「Raining Men」の盛り上がりぷりっときたら!女の子のああいう曲(しかも歌詞はちょいエロ)で盛り上がるっていうのは素晴らしい才能としか言いようがない。本気でスルツカヤみたいな三十路になりたいと思ったわたし。ていうか目指す。あと紹介アナウンスの「Thank you!シズカ!」が可愛すぎて着ボイス欲しくなった。
・高橋君の新SPはずいぶんと難しい曲だった。あれ、照明込みだからちょう盛り上がったけど、普通のライトで乗せていくのは難しい曲かもなあと。個人的には大好きなのですが。
・羽生くんは正しいロミオだなーと。破滅に向かう若気の至りっぷり、ジュリエットが好きなのかジュリエットを好きな自分が好きなのかよくわからない感じとかが良く出ていて、これは初期代表作になるんじゃないかなあという予感。
・小塚マンボの表現力にびっくりした。できるじゃん!っていう。新SPは難しいプロだなーと思ったけど、個人的には好感触です。あとは素敵衣装が必要だと思います。誰か彼に素敵衣装を処方してください。設定にどーんと入り込めるような。
エヴァンは試合に出てなかった期間にいろんなものを身に付けたなと。ロクサーヌとかセクシーだったもの。相変わらず黒くて長かったけど。体も絞れてるし、このままいくと良い感じで復帰に迎えるんじゃないですかね。
・ケイトリンたちはどんどんキャラが立ってきていいなーって思ってます。大人のロマンティックがはまる。まだ22歳と24歳なのに。可愛い路線に強いシュピル組の天下が続きそうだからこそ、こういうキャラのままずんずん進んでほしいなと思います。やっぱアイスダンスはこういうのが好きよ。
・有香さんの全身からあふれ出るいい女オーラは素晴らしいですね。コーチ業が盛況なのは素晴らしいことだけど、これを見られる機会が限られてしまうのは残念です。だからこその贅沢感。やったね。
・シェイリーンのサービス精神は尋常じゃない。隅々までサービスしまくる。そして可愛い。美しい。人を幸せにするエンターテイナーってこういう人のことを言うんだなあと思った。
・最終的にふたりがそこにいるだけでスタオベしたくなる域に超ロマンティック☆だったパン&トン。トン兄さんのたどたどしい英語アナウンスも可愛かったです。パントンは本当に技のつなぎがいい。そこにロマンティックが潜んでいるので、技がどんどん積み重なっていく終盤にはロマンティックが凄い量になっている。ロマンスの名人芸。
・美姫ちゃんは千の風になってでした。チャンピオンの風格というものが備わってきて、スケールが大きくて素敵でした。だからこそ、まだ試合で見たいなーと思ってしまう。いや、静香さんだってプロになってから伸びているわけなので、こういうフィールドで成長することも可能だと思うけど、でもやっぱり戦ってる彼女が好きなのよ。わたし。
・静香さんのVoiceは至高でした。表情も見せ方もいいし。踊るのうまいタイプではなかったけど、そこもまた向上してるし。この人はいったいどこまで伸びるんだろうなーって思う。思わず「現役か!」と突っ込んでいるお客さんがいました。わたしも同じ気持ちだ。

・コラボプロはシェイリーンのマンボステップが見られたのが一番うれしかったです。しかしまあ、アイスダンサーって凄いね。改めて。体の使い方がとにかく巧い。たぶんあれ、巧いから動きも大きくなるし、余計なエネルギー使わなくてすむようになってると思うのね。感動的でした。小塚くんのコピーっぷりにも感動しました。
・仙台のキッズとのコラボはねー。キッズの男の子がもう可愛くて。たどたどしいイーグルとか、思わず「がんばれ!」って叫びたくなっちゃった。ああいうところから、荒川さんとか本田先生とか岳斗先生とか羽生くんが出てきたんだなと思うとしょっぱなから泣けた。荒川さんのsmileも優しく可愛らしくて良かったけど。本田先生の女の子の扱いが何となくぎこちなかった。一児の父!とか思った。
・「道」コラボのヤマコ・ジェルソミーナ・田村の全開ガール(?)っぷり。でかい。そして巧い。基本がちゃんとした笑いって素晴らしいですね。ジャンプまで似せてるし。アクセルが高橋くんそっくりで笑いました。しかし、白黒ギンガムのせいなのか、立派なお乳のせいなのか、彼を見た瞬間わたしの頭に浮かんだ言葉は「牛」でした。しかしあの振る舞いはジェルソミーナっていうよりザンパノじゃないのか。好き放題だし。でかいし。

フィナーレの序盤、わたしの目の前で踊ってくれたのが美姫ちゃんだったので、すっごい見つめてしまった。可愛かったです。まあ、いつものことですが。高橋くんがケイトリンと踊って嬉しそうだったり、賢二先生とシェイリーンがちょっとだけ組むシーンがあったりして、眼福でした。あ、賢二先生が痩せていた。
全体的に、キャストが楽しそうだしバラエティに富んでいるし、震災に関しても「わたしにできること」を等身大にとらえている感じがして、良いショーでした。祈ることだけじゃなく、楽しませること、笑うこと、前向きに自分のできることを頑張ることなど、ひとつじゃないんだなと。そう思えるショーで、わたしはあの場所にいられたことを幸せに思いました。どうもありがとう。フレンズ。

生きていくのが辛いのではなく、辛くても生きるのだ

お久しぶりです。
いつの間にか世界選手権も終わりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
わたしはといえば、ブログに記事を書くどころではない状況が続いていて、結局ハイクのほうではいろいろとつぶやきながらもブログは放置!が続いていました。フィギュアスケートどころか、春先に観に行った「欲望という名の電車」も「国民の映画」もレビューを書けず。あ、両方ともちょう面白かったですよ。
そんなこんなで久しぶりのカンゲキロクです。
今日のかんげき→少年社中「天守物語」
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泉鏡花の「天守物語」を原案として、妖怪による天変地異を憎む人間と、人を殺めると鳥になる妖怪、そして嘗て人を殺した妖怪である鳥の因果と業が交じり合う物語。
これが本当に素晴らしかった。
話自体はかなり熱烈なラブストーリーとして進む。妖怪の富姫と鷹匠の姫川図書之介。生きる世界の違うふたりがどうしようもなく惹かれ合う。その中で人と妖怪が争い、ついには人間同士・妖怪同士の愚かな争いまでも起こり…という内容。物語がどんどん血みどろかつドロドロの愛憎劇になり、それに伴い血が滾るような熱さがいや増していくので、ラブストーリーは究極のヒューマンドラマなんだなあ…と感動しました。人間じゃない登場人物多かったけど。
人の妖怪に対する憎悪に「妖怪が天変地異を起こすから」という理由づけがされていて、「地震」という言葉が口にされるたびに非常にどきっとした。一方で、その被害を増長させているのが人間(権力者しかり、ひとりの小さな人間の臆病さしかり)だということにも、なんだかどきっとした。人間サイドの殿様は狂人として描かれているのだけど、どこか「このひとは正気だったんじゃないか」と思わせる部分もあったし、「こんなことまでして生きてどうするんだ」という問いと「生きるためにはどんなことだってする」という執念が問答のように繰り返されるのにはいろいろ考えさせられました。そして、物語は「生きる」ということにダイナミックに纏め上げられていくのだけど、その「祭り」感が凄まじかったです。「生きる」ということそのものに価値がある…というか、「まつる」べきものである、と思わせるような芝居で、ライブだからこそ味わえるという意味でも、こんな時だからこそリアリティがあるという意味でも観るべき舞台でした。12日まで。
ヒロインはあづみれいかさんという元ジェンヌの方でしたが、小劇場で宝塚出身の方を見ると本当にこの人たちはすごいなあと思ってしまいます。佇まいにまったく無駄がない。劇団員さんたちは、やはり「ロミオとジュリエット」をやって以降、なぜか声の出し方や滑舌がすごくよくなっていて、今回の難解な泉鏡花どおりの台詞がすごくきれいに聞こえて凄いなあと思いました。図書之介役の廿浦さん…もう、満を持しての主役!!という感じだったのですが、これが本当にかっこよかった。あの声の美しさは素晴らしいなあ。堀池さんもあんな役でしたが、堀池さんの素敵なところが余すところなく出ていて(ご本人はもうそろそろかっこいい役がやりたいらしいですが)180度回って男らしかった。そしてジェンヌさんの妹役をやっても負けてないえりさんが流石すぎました。満を持して廿浦さんが主役をやったことで、今度は満を持して未央さんの主役が見たいです。ああいう役も好きだけど。

夏への扉を開く男の子の身勝手で愛すべき妄想力

土曜のかんげき「夏への扉演劇集団キャラメルボックスル・テアトル銀座

初めまして。明日、君と出逢う僕です。(「銀河旋律」柿本)

演劇集団キャラメルボックスのオールタイム名作選を出したとしたら絶対に入る作品のひとつに「銀河旋律」がある。主人公が結婚の約束をした女性をライバルに姑息な手段(タイムマシンを使った)で奪われ、それでもどうしても忘れられずに彼女と自分がきちんと出会いなおせるように過去へと向かう話だ。そのラストシーン、必死で駆けずり回った主人公・柿本が、まだ自分と出会う前の恋人に向かって言う言葉が上のやつ。もちろん、柿本の頑張りを見ているからお客さんは非常に感動する。勿論、わたしも感動した。でも、感動すると同時にかすかな違和感も感じたのだ。正直、自分がこの恋人だったら、こんなことを言う男の子に向かって、シンプルに「ぽわわわーん」とときめいたりはしないだろうな、と。
だいたい基本的にSFに出てくる男の子ってどうにも身勝手だ。「ドラえもん」ののび太がいい例。成績も運動神経も悪く、おまけにぐうたら。そのうえ自分でそれを解決するために、例えば早起きしてランニングしてみたり勉強してみたりといった努力をしない。取柄は優しいところだけれど、ドラえもん本編を見ている限りではけっこう「いじめられたから仕返ししてやる」とか心も狭い感じ。なのになぜか自分がしずかちゃんに愛されるという夢だけは捨てない。しずかちゃんのすぐそばには出木杉くんという、ルックスも頭脳も運動神経も性格も自分よりずっと勝る人間がいるにもかかわらず。正直、いい気なもんだと思う。どこからその自信、出てくるのよと聞きたくなるほどに。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のマーティもなかなかに頼りない男の子だ。正直、あまり男性として惹かれる部分はない。映画自体はなんとなーく「首尾よく進むようにチートしたけどあとは君の努力次第だYO!」的に展開するんだけど、そもそも「首尾よく進むように」段取りしたのが未来のことを知ってる本人だったりして、それってちょっとあんまりなんじゃない?と思ったりする。青山剛昌の短編に「ちょっと待ってて」というタイムトラベルものがあるんだけど、それも美人の先輩と付き合ってる天才科学少年が、たった2歳の年齢差を埋めるために過去へのタイムトラベルを画策するが、ひょんなことから先輩が未来へタイムトラベルしてしまって…という話で、結末は未来にトリップした先輩が「もう『先輩』じゃないでしょ」と言って大団円…なんだけど、いやいや2歳くらい大した差じゃないから!そんなことのために飛ばなくていいから!と全力で突っ込んだものだった。でもわたし、あの話けっこう好き。
夏への扉」のダニエルも正直、そういう登場人物のひとりだと思う。あの話の恋愛サイドって、正直リッキーのことなんてあまり考えてない。29歳の男が同世代の女に裏切られたからと言って、当時11歳の友人の娘と結婚の約束をしちゃうという展開。それって、ちょっと、あんまりなんじゃないの?と思わざるを得ない。ダニエルは29歳でコールドスリープに入り、リッキーは21歳まで待つ。その10年の間にリッキーがどんな経験をし、どんな女性に育つかはかなり大事な問題だと思うのに(どんな人間も一番変化するのってそのへんの年だよね)、そこをすべてすっ飛ばして彼らは未来へ向かう。で、未来に来たらお互いの話をする前にサクっと結婚式なんかあげちゃって大団円。めでたしめでたし…ってそれはどーなの。
わたしが「夏への扉」を見に行くか行くまいか迷ったのも、このへんの「男の身勝手」フルスロットルな展開が原作のあまり好きじゃないところだったから…なんだけど、芝居で見たらリッキーとダニエルのシーンは非常に感動的だった。「お嫁さんにして!」は正直「超展開きたー」と思ったけど、それでも泣いた。すべては生身の女の子(とはいえ演じている實川さんは大人の女性なのだけど)が心の底から初恋の男性であるダニエルを愛している、という裏付けがあるから。その、キャラメルボックス的に言うなら人が人を思う気持ちのまっすぐさに触れれば、年の差とかご都合主義感とか、そんなものは「細けえこたぁいいんだよ!」的に流せてしまい、大いに泣けるものなのだ。
でも、思えば男の子向けであれ女の子向けであれ、すべてのフィクションってそういうものなんじゃないかと思う。素敵な王子様が向こうからやってきて、地味でさえないワタシに「君のような人に出会いたかったんだ」と言ってくれる…なんてベタな話は、とっくに廃れてしまったと思いきや手を変え品を変え題材を変え、いつの時代にも新作として手元に戻ってくる。「さえないワタシ」がクラスの片隅で小説を読んでいる子だったり、わたしの居場所はここじゃないと内心ジレンマを抱えるギャルだったり、仕事をバリバリこなしながら孤独感とも戦うキャリアウーマンだったりと変遷しながら、王子様が金持ちで世間知らずのボンボンだったり、年上の大学教授だったり、アート系の仕事をしている可愛い年下男子だったりと変遷しながら。みんなどこかで「ありのままのあなたが好きだ」と言ってもらいたい。そして、ありのままのあなたは、自分の人生を変えるための素敵な努力を適切な方法でできる人間でありたいんだろう。たぶん、男の子も、女の子も。そして、そういう「お話」は大抵素敵なものと相場が決まっている。それがきちんと噛み合って走り出した時の素敵さといったら、まさに武者震い級なのだ。それを表現するのが生身の人間ならば、最早何も言うことはない。
夏への扉」を見ながらわたしは、ご都合主義とか、ドリーム展開とか、そんなのはすべて細かいことなんだなあとしみじみ思っていた。思いのまっすぐさで走る人間がいれば、そこに生身の感動と疾走があれば、それがすべてだとすら思えてしまう。「AさんとBさんが恋をした」という言葉以上に、舞台の上で出会いたいけれど出会えない人の姿、そこからにじみ出る思いには心を揺さぶられる。でもって、そういう「揺さぶられる」という感じこそ、舞台が舞台であり、大変な状況であっても演じ続けるべき価値の本質なのかもしれないと思った。
畑中さんはもう主役に歪みがない感じだけど、ルテ銀だとちょっと声がこもってしまう感じ。ピート役の筒井さんは、キャラメル的に伝説級のサブリナやスヌーピーに比べると、語り部であるぶん動物感は薄めだけど可愛いピートだったと思う。實川さんは、きゅんきゅんする役をやらせたら天下一品。大内さんは格好良すぎてこちらがどうにかなりそうだったが何故か東北弁の工場長はツボ。さつきさんは未だにいい女。坂口さんの幅の広さには感動したし、西川さんは…最初の朗読で一番声がスパーンと飛んできたのが彼で、伊達に看板俳優じゃないなあと震えた。衣装的にはハイヤードガールが物凄く可愛くてドキドキしました。