こどもの体温

朝日新聞に掲載された春名風花さん(以下はるかぜちゃん)の「いじめている君へ」の評判がいいようです。
というか、あの文章がきっかけで、今まで彼女を知らなかった人の目に彼女が止まるようになり、なんとなく騒がしくなっているなという印象。
http://www.asahi.com/national/update/0816/TKY201208160557.html
彼女の感性は素晴らしいし、注目を浴びる理由はわかります。
でも何故かここへきてやたら彼女を持ち上げまくる人間がどどっと増え、「彼女の『いじめている君へ』は『アンネの日記』に匹敵するエポックだ!」とまで言い出す人が出てくると、ちょっと待て!と言いたくもなるんですよね。
確かにはるかぜちゃんの「視点」は素敵に斬新で、どこかなつかしい。
「なるほどねえ」「確かにそうね」「うん、それは素敵だと思うよ」と言いたくなるような言葉を持っています。
でも、それは「子どもの視点」だからなんじゃないかな、とわたしは思います。
そして、大人が子どもをそんなに持ち上げてやるなよ、とも。
小学生も高学年くらいになると、聡い子というのはかなりいます。話していると、思わずこっちが唸るような論理を持ち出す子も。作文や発表の上手な子、絵が「子どもとは思えないほど」上手い子も。
特にはるかぜちゃんは「文章を書いて人に伝える」以前に子役であり、せいぜい親や先生くらいしか交流すべき大人がいない「普通の小学生」とは違い、いわば思考に対するエリート教育を受けてきた子どもなので、感性や表現力が磨かれる土壌は十分にあるんですよね。
だから、騒ぐほどのことでもないんじゃないか、と。
そうわたしが思うのは、はるかぜちゃんが出てくるずっと前に「この小学生はすごい!」と思うものを読んでいたから。それは一時期「角川文庫の夏の百冊」にも必ず入っていた、華恵の「小学生日記」だ!

小学生日記 (角川文庫)

小学生日記 (角川文庫)

これに収録されている名文「ポテトサラダにさよなら」は作文コンクールのサイトでも読めます。
【小学校高学年】「ポテトサラダにさよなら」東京都文京区立 林町小学校5年 矢部華恵
ひさしぶりに読んだけれど、やはり名文。自分にとって大事なことを書いているのに、感情で脱線していない。作文の中に出てくる「わたし」を丁寧に客観視できています。短い文章でわかりやすく場面を切り取り、「そのとき理解しきれなかったこと」を、理解しきれないという感覚ごと書けています。自分が感じ取りきれなかったことって、なかなか書けないんですよね。書けたとしても冗長になってしまう。
「なぜ、わたしは理解しきれなかったのか」「なぜ、わたしはこう思ったのか」―――
はるかぜちゃんも華恵さんも、普通の小学生なら(大人でも)放り投げてしまう感覚を丹念になぞって文章にできています。これは才能でもあり、子役やモデルとして「感じたことを表現する訓練」をしてきた結果なんだろうけれど。
華恵さんは現在、東京藝大に通っているということなので、文筆業やモデル以外の才能もあるのでしょう。「小学生日記」後も本を出版し、雑誌に連載を持ち、NHKとかの教養番組のゲストをやっていたりして、派手ではないけれどタレント活動も順調な様子。彼女が順調に大人になっていることを、とても嬉しく思います。
一方のはるかぜちゃんについては、発表の場としてWEB、しかもTwitterを選んできたのが、裏目に出ないといいな、というか。ここまで「はるかぜちゃんの作品」が多くの人に知れてしまった以上、そろそろTwitterという表現媒体はスピードが速すぎるんじゃないかな、と思うんですよ。
彼女はこれから悩み多き思春期を迎えます。思春期の悩みや摩擦や軋轢は、小学校時代の比ではないでしょう。学校でもお仕事でもストレスが増える時期に、いい大人にとってもストレスフルでスピードの速いTwitterに活動の場を置くのは、けっこう大変なんじゃないだろうか。ここまで有名になったんだから、もっとゆったりとした場で彼女の「言葉」に耳を傾けてくれる人も多いんじゃないか。
たとえ素敵な感性の持ち主でも、子どもは子ども。
その前提を忘れて彼女を叩く人や持ち上げすぎる人ではなく、「きみの人生の先輩」として、大人の立場から丁寧に目線を合わせて彼女に接してくれる人のいる場所で、はるかぜちゃんの感性は発揮されたほうがいいんじゃないかな、とわたしは思います。10代の子に、そこまで自衛の手段があるとは思えないし。
あと、こういう子は中学以降クラスでも浮きがちになってしまう傾向があるので、学校選びはきちんとやったほうがいいなとも思います。
まあ、文章を書く上でのキャラクタライズとはいえ、自分を「ぼく」と呼んでいる時代のことは彼女自身が「あれって自意識過剰…ていうか痛い…『わたし』でいいやん…」と思ってしまう黒歴史になる可能性が高いと思うので、うまいこと成長してくれて、「文筆業としてはけっこうな美人」くらいのポジションで、乙武さんなんかと過去を振り返る対談をして、

乙「はるかぜちゃん…あ、今は春名さんのほうがいいね」

春「あ…はい」

乙「あの頃、君は一人称が『ぼく』だったわけだけれど」

春「はい。まあ、あれは…若かったなと(赤面)」

乙「売られた喧嘩は即買いだったしね」

春「もう、やめてください(苦笑)」

乙「(ニヤニヤ)」

みたいなやりとりがダヴィンチとか文藝とかの上で行われていたらその号はぜったい買うので、あまりすり減らさずに生きてほしいなあということです。
とりとめもなく、おしまい。