アイドルもしくはポップスター、その後

去年の夏、ちょうど再々演中だった「ミス・サイゴン」について友達とあんみつ食べながら語り合った@神楽坂。私は新妻聖子の回を、友達は知念里奈ソニンの回を観た上での会合でした。
で、友達いわく
知念里奈は母親の説得力がすごくて、ラストの自殺が恋のためじゃなくて親心だとちゃんと伝わってくる」
ソニンは終始『私ここにいていいの?』『私幸せになっていいの?』というオーラが絶えなくて、それが少しほどけて自然に笑った次からもう転落なので生々しくて胸が痛くなるような感じ」
とのことだった。

知識に勝る経験なしというか、伊達に子ども産んだり修羅場くぐったりしてないよな…という。

ミス・サイゴンでヒロインのキムは初登場時17歳の田舎娘という設定。それからラストで自殺するまで5年も経っていない。だから、どうやらキム役には「30歳定年説」みたいなものもあるらしい。つまり起用されるのは若い役者だから、もちろん母親の心境よりも恋をする娘の心境のほうに感情移入がしやすいし(だから1幕終盤とか2幕で子どもの存在が希薄になってしまう場合もある)、今の日本で若いミュージカル女優なんてそれなりにお嬢さん育ちなのでキムの悲惨な境遇が伝わりづらい。そのへん、たとえ歌唱力で新妻聖子笹本玲奈に及ばなくても、知念里奈である理由やソニンである理由があるんだろうなと思う。

おそらくお芝居に興味のない方にとっては、知念里奈ソニンも「あの人は今!?」状態なんだろう…と思うのですが、彼女たちは主に舞台にフィールドを移して非常に評価されているんだよね。だってクワトロキャストとはいえ帝劇で主演ですよ。それは非常に栄誉なのに、あまり評価されてないっぽいのが悔しい。
同じようなポジションでいくと鈴木蘭々もそうか。彼女もミュージカルでは非常にいい仕事をしているのに、たいがいの人は「あーいたね。」で済ますのだと思うと。代役とはいえ「キレイ」のケガレなんて本当に素晴らしかったんだぞ畜生。

経験を貪欲に生きる糧に変えようとする力と情熱、そして産まれ持った華。テレビ映えする女の子たちの中じゃ、それこそソニンなんて普通っぽすぎるくらいのルックスでしたが、あの頃のつんくプロデュースの中では一番伸びた素材なんじゃないだろうか。彼の手を離れてから。

そういう意味で、私はミュージカルに少し足を踏み入れかけていた華原朋美は非常にもったいなかったと思います。小室さんのお人形さんだった彼女のことを私は好きではなかったけれど、彼のもとを離れてテレビの「なつかしのヒット曲」みたいな番組で、すごく丁寧に丁寧に、宝物のように「I'm proud」を歌う彼女はとっても美しかったから。ミュージカルにおいては「上手な歌い手」であることよりも「伝わる歌い手」であることのほうが大事なので、声の細さというハンデはあっても、うまくいったんじゃないかなあと今でも思ってやまないのです。

あんみつ屋での会合の中で、同じく帝劇で冬にあった「モーツァルト!」の話になり、元SP●●Dのヒロ嬢がそれはそれは酷かったよねということでも一致しました。歌が下手ではないのだけれど、本当に伝わってこない。歌うことに一生懸命で、コンスタンツェの苦しみと悲しみ、ああいう風にしか生きられなかった女の愚かさを感じなかった。そして歌も「下手じゃない」というレベルで聴かせどころにはならなかった。モーツァルト!も再々演ということで、初演からほぼ変わっていないメインキャスト(当然解釈は深まっている)に喝采が送られる中、明らかに彼女への拍手のときだけ音量が下がって少し可哀想なくらいだった。同じく元SP●●Dの上原さんがヒロインをやった「ウェディング・シンガー」も、歌もダンスもあれな上に顔は可愛いんだけど隣がヅカ女優だとやたらスタイルが悪く見える感じで辛かったんだよなあー。
あのふたつの公演は、俺様タイプ&ボク王子タイプの主演がものすごく他人の演技を見てひっぱる俳優に成長しているのに感動しました。あっきーが、芳男がリードしてるよ!みたいな。
あ、ちなみにもちろん両方ともいいミュージカルでしたよ。楽しかったし。

伝えることに貪欲であること、自分の足で前へ進みたいと思い戦うことって非常に大事だなあとミュージカルにやってくるアイドルさんを見ると思います。高橋由美子なんて本当に実力派舞台女優だもの。

そしてアイドル→舞台女優の系譜として絶対に忘れちゃいけないのはやっぱりこの人。本田美奈子

観るたびに涙腺をやられてしまう。日本版・初代キム。堂々たる熱唱です。なんて素晴らしい女優だったのだろう。
この人のファンティーヌが永久に観れなかったのは本当に残念で悲しくて悔しくてならない。