少女と才能

少なくとも私が現役大学生だった3年前までは、芝居をやってるような学生の多くとは「ガラスの仮面」ネタでかなり盛り上がれたわけで。それこそ「恐ろしい子!」しか知らないなんてニワカもいいところ、好きな演目は何、どのオーディションが白眉、乙部のりえって誰にも気づかれてないけどあの模倣力があれば役者としてはかなりのもんだよねとかひたすら語り合える人々が周りにはごまんといました。そんなかつての芝居仲間のひとりと、「今『ガラかめ』を実写化するならだれか」という話をしてみた。

友人いわく「俺、今北島マヤを最も感じるのは福原愛なんだよね。芝居ができるかどうかは置いといて。」

その「芝居ができるかどうか」が一番大事だということは置いといて、妙に納得した。強さ、普通の女の子らしさ、それしかないということを知っている故の運命。そして「あの子は天才」と言われ続ける辛さと栄光を知っているということ。
まあ、愛ちゃんは泥だんご食って覚醒とか…しないけどなっ!

その複雑な表情・少女性と「運命」に立ち向かう聖女性の同居については認める。ただ彼に異論を唱えるのであれば、福原さんの「卓球」への向かい方はもっと強かに確信的というか、「わたし○○が好き!」と瞳の中を燃やす感じじゃなくて、「わたしは○○と一蓮托生なのだ」という静かな決意に近いということだ。彼女の生涯成績がどうなるか、平野さんや石川さんと比べてどうなるかはまだわからないけれど、でもきっと彼女は卓球するんだろうなあ。生涯かけて。
あー、あれだ。福原さんがマヤなら平野さんは麗様か。それじゃ桜小路君は…そして紫のバラの人は松…いや、なんでもない。

確かイェテボリワールドの前くらいに、天才の系統で言えば安藤さんはのだめ型、浅田さんははぐみ型だなーととりとめもなく考えたことがあります。あくまで普通の女の子で(多少の趣味の特殊さは置いておく)人と関係を取り結ぶのがうまくて、でも嫉妬ややっかみの対象になることも多い、あくまで他者との関係の中で生きるタイプが安藤さん。女の子としては少々内向きでマイペースで、それゆえに「あの子はちょっと特別よね」と周囲の大人からも思われがちな、自分との対話重視型が浅田さん、というような。あくまで妄想ですが。
当時の安藤さんが「みんなそーやって勝手なことばっかり…!自由に楽しくスケートやって何がいけないんですかァァア!」と叫んでトイレ籠りとかしてそーだったからかもしれん。

それは作中でのテーマ(あくまで私解釈)が、のだめは世界を知るために「他者が何を感じているかを知ること」が大事であり、はぐみは世界を知るために「自分が何を求めているかを知ること」が大事であったということだったりもする。それはおのずと合わせ鏡だったとも言えるけれど。現在のだめは絶賛自分なくし中(でもどうせ自分で結論を出して生涯音楽と向き合うべく腹を括るしかないんだけど)、はぐみは世界への扉を少し開いて外へ歩き出したところで連載終了でしたが。
浅田さんはもう少し精神的に成長して、自分がどんな女かを相対化して見れるようになったら「蝶々夫人」をやってほしいなあ。ふわふわした人間の悲劇をずぶずぶと演じられるとしたら彼女だし、それは途方もない個性だ。去年の「仮面舞踏会」も、ふわふわした人間なりの巻き込まれ感があればよかったのかもなあ。ドレスも黒とかボルドーじゃなくてあえての白系で。「ラ・ボエーム」のミミなんかもいいのかもしれないなあ。


そんなこんなでものすごい方向に飛んだガラスの仮面トークは、「5年前に宮崎あおいがマヤ、沢尻エリカが亜弓さんでやればよかったんだよ」という結論に落ち着きました。ちょっと傍若無人な感じにキラキラしながら「私、女優になる!」と言い切るあおいと「なんて子!」と悔しさをにじませるエリカ。月影先生はもちろん野際陽子を据え置き、じゃあ紫のバラの人は誰だ。とりあえず惜しいことしたな、テレビ局。
ちなみに今やるなら玉木宏が真澄様をやれば丸く収まります。きっと。チビちゃんと呼ばれたい女子激増。そして堺雅人が真澄様をやったらものすごく生々しくて気持ちの悪いことになるという結論も出ました。