夏への扉を開く男の子の身勝手で愛すべき妄想力

土曜のかんげき「夏への扉演劇集団キャラメルボックスル・テアトル銀座

初めまして。明日、君と出逢う僕です。(「銀河旋律」柿本)

演劇集団キャラメルボックスのオールタイム名作選を出したとしたら絶対に入る作品のひとつに「銀河旋律」がある。主人公が結婚の約束をした女性をライバルに姑息な手段(タイムマシンを使った)で奪われ、それでもどうしても忘れられずに彼女と自分がきちんと出会いなおせるように過去へと向かう話だ。そのラストシーン、必死で駆けずり回った主人公・柿本が、まだ自分と出会う前の恋人に向かって言う言葉が上のやつ。もちろん、柿本の頑張りを見ているからお客さんは非常に感動する。勿論、わたしも感動した。でも、感動すると同時にかすかな違和感も感じたのだ。正直、自分がこの恋人だったら、こんなことを言う男の子に向かって、シンプルに「ぽわわわーん」とときめいたりはしないだろうな、と。
だいたい基本的にSFに出てくる男の子ってどうにも身勝手だ。「ドラえもん」ののび太がいい例。成績も運動神経も悪く、おまけにぐうたら。そのうえ自分でそれを解決するために、例えば早起きしてランニングしてみたり勉強してみたりといった努力をしない。取柄は優しいところだけれど、ドラえもん本編を見ている限りではけっこう「いじめられたから仕返ししてやる」とか心も狭い感じ。なのになぜか自分がしずかちゃんに愛されるという夢だけは捨てない。しずかちゃんのすぐそばには出木杉くんという、ルックスも頭脳も運動神経も性格も自分よりずっと勝る人間がいるにもかかわらず。正直、いい気なもんだと思う。どこからその自信、出てくるのよと聞きたくなるほどに。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のマーティもなかなかに頼りない男の子だ。正直、あまり男性として惹かれる部分はない。映画自体はなんとなーく「首尾よく進むようにチートしたけどあとは君の努力次第だYO!」的に展開するんだけど、そもそも「首尾よく進むように」段取りしたのが未来のことを知ってる本人だったりして、それってちょっとあんまりなんじゃない?と思ったりする。青山剛昌の短編に「ちょっと待ってて」というタイムトラベルものがあるんだけど、それも美人の先輩と付き合ってる天才科学少年が、たった2歳の年齢差を埋めるために過去へのタイムトラベルを画策するが、ひょんなことから先輩が未来へタイムトラベルしてしまって…という話で、結末は未来にトリップした先輩が「もう『先輩』じゃないでしょ」と言って大団円…なんだけど、いやいや2歳くらい大した差じゃないから!そんなことのために飛ばなくていいから!と全力で突っ込んだものだった。でもわたし、あの話けっこう好き。
夏への扉」のダニエルも正直、そういう登場人物のひとりだと思う。あの話の恋愛サイドって、正直リッキーのことなんてあまり考えてない。29歳の男が同世代の女に裏切られたからと言って、当時11歳の友人の娘と結婚の約束をしちゃうという展開。それって、ちょっと、あんまりなんじゃないの?と思わざるを得ない。ダニエルは29歳でコールドスリープに入り、リッキーは21歳まで待つ。その10年の間にリッキーがどんな経験をし、どんな女性に育つかはかなり大事な問題だと思うのに(どんな人間も一番変化するのってそのへんの年だよね)、そこをすべてすっ飛ばして彼らは未来へ向かう。で、未来に来たらお互いの話をする前にサクっと結婚式なんかあげちゃって大団円。めでたしめでたし…ってそれはどーなの。
わたしが「夏への扉」を見に行くか行くまいか迷ったのも、このへんの「男の身勝手」フルスロットルな展開が原作のあまり好きじゃないところだったから…なんだけど、芝居で見たらリッキーとダニエルのシーンは非常に感動的だった。「お嫁さんにして!」は正直「超展開きたー」と思ったけど、それでも泣いた。すべては生身の女の子(とはいえ演じている實川さんは大人の女性なのだけど)が心の底から初恋の男性であるダニエルを愛している、という裏付けがあるから。その、キャラメルボックス的に言うなら人が人を思う気持ちのまっすぐさに触れれば、年の差とかご都合主義感とか、そんなものは「細けえこたぁいいんだよ!」的に流せてしまい、大いに泣けるものなのだ。
でも、思えば男の子向けであれ女の子向けであれ、すべてのフィクションってそういうものなんじゃないかと思う。素敵な王子様が向こうからやってきて、地味でさえないワタシに「君のような人に出会いたかったんだ」と言ってくれる…なんてベタな話は、とっくに廃れてしまったと思いきや手を変え品を変え題材を変え、いつの時代にも新作として手元に戻ってくる。「さえないワタシ」がクラスの片隅で小説を読んでいる子だったり、わたしの居場所はここじゃないと内心ジレンマを抱えるギャルだったり、仕事をバリバリこなしながら孤独感とも戦うキャリアウーマンだったりと変遷しながら、王子様が金持ちで世間知らずのボンボンだったり、年上の大学教授だったり、アート系の仕事をしている可愛い年下男子だったりと変遷しながら。みんなどこかで「ありのままのあなたが好きだ」と言ってもらいたい。そして、ありのままのあなたは、自分の人生を変えるための素敵な努力を適切な方法でできる人間でありたいんだろう。たぶん、男の子も、女の子も。そして、そういう「お話」は大抵素敵なものと相場が決まっている。それがきちんと噛み合って走り出した時の素敵さといったら、まさに武者震い級なのだ。それを表現するのが生身の人間ならば、最早何も言うことはない。
夏への扉」を見ながらわたしは、ご都合主義とか、ドリーム展開とか、そんなのはすべて細かいことなんだなあとしみじみ思っていた。思いのまっすぐさで走る人間がいれば、そこに生身の感動と疾走があれば、それがすべてだとすら思えてしまう。「AさんとBさんが恋をした」という言葉以上に、舞台の上で出会いたいけれど出会えない人の姿、そこからにじみ出る思いには心を揺さぶられる。でもって、そういう「揺さぶられる」という感じこそ、舞台が舞台であり、大変な状況であっても演じ続けるべき価値の本質なのかもしれないと思った。
畑中さんはもう主役に歪みがない感じだけど、ルテ銀だとちょっと声がこもってしまう感じ。ピート役の筒井さんは、キャラメル的に伝説級のサブリナやスヌーピーに比べると、語り部であるぶん動物感は薄めだけど可愛いピートだったと思う。實川さんは、きゅんきゅんする役をやらせたら天下一品。大内さんは格好良すぎてこちらがどうにかなりそうだったが何故か東北弁の工場長はツボ。さつきさんは未だにいい女。坂口さんの幅の広さには感動したし、西川さんは…最初の朗読で一番声がスパーンと飛んできたのが彼で、伊達に看板俳優じゃないなあと震えた。衣装的にはハイヤードガールが物凄く可愛くてドキドキしました。