わたしもまた彼女ではないのです/ロックンロールは鳴り止まないっ!

すっかり演劇レビューブログ化しているインディアンサマーですが皆様いかがお過ごしでしょうか。
わたくしは8月に5本芝居を観に行くという暴挙に出たため、FOIは諦めました。財布的な意味というか、もうこれはキャパシティ的な意味ですね。珍しくいろんな友達と会ったりしていたり、今の仕事の契約が満了するので次を探さなきゃ!というのもある。とりあえずそんなわけで、フレンズ行く人は楽しんできて下さい。

8/21のかんげき→「ダブル」@ル・テアトル銀座
縁あって招待券をいただき、弟と一緒に行ってきました。本当は友人と行く予定だったのですが、急きょ都合が悪くなってしまい。まあ、弟とでかけるなんてめったにないことだし、楽しかったからいいです。
中越典子堀内敬子&山西惇というサラリーマンNEO好きにはたまらない一派がいて、それに主役で絡むのが橋本さとしだったりという、個人的においしいキャスティングで。これがまあ、芝居のテンポが物凄く良くて。職人芸ってこういうことか。あらすじを読んだ時点で「一人二役ネタだったらこう落とすかな」と思ったのですが、途中で「そのオチじゃないだろうな」と思ってしまうくらいさとしさん巧いし。
内容としてはヒッチコックルパン三世を混ぜたような感じかなあ。最後のあれはやりすぎなような気もするけど、あれがなければコメディにはならないよね。最後のフランソワーズとリシャールのやりとりがクールで小気味よかったのでよしとするか。橋本さんのリシャールはエロく、ミシェルは可愛くて、本当に別人に見えるから凄い。しかも終盤、少しだけど「できる男」モードの爽やかさとしも見れたし。好きだなあ。さとしさんはNEOに出ていてもおかしくないよねと思ったけど、ワイルド系のいい男で実は行動が変だと某部長とちょっとばかしかぶって某部長よりも知名度が低いということに。


8/25のかんげき→「ロックンロール」@世田谷パブリックシアター
武田真治市村正親秋山菜津子とそろえてこのタイトルだったら歌うのかと思ったら、特にそんなことはなかったぜ!いや、ストレートプレイだというのは知っていましたが、こんなに静かな劇だとは思っていませんでした。プラハの春から1990年までの、自由を求めるチェコ人青年ヤンとマルクス主義者のイギリス人教授マックスの人生を描いた物語で、すごく面白かったんだけど、チェコスロバキアの歴史と共産主義衰退の歴史の薄い知識を総動員して見ていたので非常に疲れました。観る前に「存在の耐えられない軽さ」を読んでおいて本当に良かったよ…。しかもマックスの妻エレナはギリシア文学研究者(対象はサッフォー)という設定で、「共産主義はわかるけどプラハの春って何?サッフォーって何?」みたいな人にとってはとーても辛かったものと推測。
タイトルの「ロックンロール」はヤンにとって自由の象徴。自由といっても闘ったり求めたりすることではなくて「僕をちょっとほっといてくれ」という程度のもの。その「僕をちょっとほっといてくれ」が叶えられずに、優秀な学生としてケンブリッジにまで留学したヤンは若い日々を無為に燻らせていく。マックスは共産主義の信奉者で、10月革命の年に生まれたことを誇りに思っている。共産主義の矛盾やソビエトの横暴には気付いているけれど、それが間違っていると認めたら、ソビエトナチスドイツに打ち勝ったこと、マルクス主義尊いものとして研究してきた人生までも「間違っている」と認めることになるんじゃないかと思っている。「僕は自由になりたい」と「それでは共産主義は間違いなのか」という問いが何度も立てられ、そのたびにふたりはすれ違う。「第三の道」という考え方が取り上げられている今の世代としては「共産主義じたいはうまくいかなかったけど、十分に評価するべき視点はあるし、もっと良いやり方で取り入れていけるんじゃない?」と思うけれど、マックスにとっての共産主義とは人生そのものであって、それを簡単に否定することはできない。だからこそ90年のイギリスのシーン、共産主義が崩壊してもなお、共産主義に迫害されてしまったヤンがなお一切の私心なくマックスへの感謝を伝えに来るシーンは感動的でした。

ベルリンの壁が崩れた時 テレビを観ながら祖父がぽつりとね 『莢子 私が50年正しいと思っていた考え方は間違っていたかもしれないよ』って
戦争が始まる前から人々のためにこれが良かれと思って信じてきた考え方だったけれどやっぱり駄目だったみたいだなあって…(後略)」
よしながふみ「愛すべき娘たち」)

マックスの生き方を見て、この台詞を思い出したんだよね。この「祖父」っていうのもマルクス主義研究の学者さんだった。こういう風に思いながら冷戦末期を迎えた人って多いんだろうな。
マックスが共産党に協力していた資料は存在するけれど、ヤンの資料と照合しなければ、それがヤンのためだということはわからない。マックスはヤンの来訪を、自由化されたチェコで教鞭をとるにあたってゴシップの種になる「資料」を始末し口止めするためだと思った。けれどヤンの資料は共産主義政権がすでに処分していた。だから、ヤンは本当に感謝したくて、ただそれだけでイギリスにやってきた。それまで「自分が信じてきたことは間違いだったのか」という問いにマックスは苛まれていたのだけれど、間違いとか正しいとかじゃなくて、とにかく「ヤンは共産主義に青年時代を奪われたけれど、マックスには救われて感謝している」ということ。たくさん存在する真実の中に、そういった思いもまた存在しているということ。ソビエト共産主義はたくさんの人を苦しめた上で崩壊したけれど、ひとがひとを思う気持ちというのは、科学や政治や思想を超えたところで心を結び真実となる。その直後、娘婿がマックスに暴言を吐くシーンがあるのだけれど、そこで頑固じじいのマックスは怒らないんだよね。つまり、彼はもう「たったひとつの真実」に囚われなくても良くなったんだっていうことだとわたしは思いました。
しかし内容が難しかったのも事実。思うに、日本にはちょっとなじみのない設定なんだよな。共産主義下のチェコスロバキアって。だからこそ、そのへんを抑えていなくても感動的な演出があればもっと一般受けしたと思うよ。それこそミュージカルにしちゃうとか。
1幕は市村さんの妻、2幕は娘という2役で本当に別人に見える菜津子おねえさまが凄く良かったです。武田真治は映像だとうさんくさめなんだけど、声がイノセントなせいか純粋な好青年がよく似合う。キャラメルの西川さんはナイジェル(娘婿)のボンクラっぷりもなかなかですが、序盤でやっていた審問官が良くて、彼のがっつり悪役が観てみたいなあと思いました。前田亜季ちゃんが思いのほか舞台向きっぽい動きと声で、今後が楽しみになった。