夢と人、時間、そして神様

きのうのかんげき→「さらば八月のうた」劇団M.O.P紀伊國屋ホール
わたしが生まれた年にできた劇団がとうとう解散ということで、今まで本当に見逃し続けていた劇団だけに「今回だけは見逃せない!」と思って当日券で突撃してきました。キャンセル待ちでした。わたしの後ろに並んでいた人が座れたかどうかは知らないというギリギリっぷり。痺れるぜ…っ。そんなこんなで前説を聞き逃してしまいました。2時間45分というストプレにしては長めの内容でしたが、とてもよかったです。派手な事件が起こる物語ではないけれど、じんわりと胸が熱くなるような、奇跡や神様を信じてみたくなるような。今でもあの「別れのうた」が耳の奥に残っています。
この芝居を観ながらふと思い出したのは、大学時代の先輩の言葉でした。当時わたしは学生劇団でミュージカルを作っていたのですが、ある先輩がぽつりと「すごいよね。この世にはいっぱい音楽があるのに、わたしたちしか知らない歌がここにあって、こんなに良い歌だなんて」と言ったのです。客観的に聞いて良い歌かどうかは判断できませんが、わたしたちにとっては繰り返し歌った、どうしようもなく大切な歌の数々。今でも歌えます。でも、誰も知らない歌。芝居だってそう。わたしたちにとってはまさに青春でも、世間一般に知れ渡っているわけではない、手作りの不格好な、それでいて情熱に満ちた、誰も知らない芝居。
もちろんM.O.Pは長いことやっている、テレビでも有名な俳優さんも所属している劇団で、わたしたちの不格好な青春とは違う。「さらば八月のうた」だってDVD発売予定が出ている。けれど、お芝居はやはり劇場で観るもので、ソフトは保存ツールとしては秀逸だけれど、その空気が残されるわけじゃない。マキノさんの戯曲も、緑子さんや小市さんの芝居もこれから観られるだろうけど、それはM.O.Pじゃない。でも「今ここで行われている芝居」や「今ここで奏でられている音楽」が残すものは確実にある。
「別れのうた」を巡り巡って、彼女が歌ったように。歌えたように。
そして、小さな奇跡やありふれた偶然が結ばれて、いくつもの絆が生まれていくように。
色んな人が色んな風に大切にしているものの形が見れて、すごく幸せな舞台でした。月日が満ちたんだなと思いました。なにしろぎりぎりで駆けこんだものですから席は紀伊國屋の一番後ろで、でもセンターで、だから「偶然聞いたラジオの最終回がとても良い番組だった」みたいな気持になったのです。
わたしは第三舞台にも夢の遊眠社にも東京サンシャインボーイズにも間に合わなかった人間で、古参の演劇ファンの方々の弁を聞くにつけ彼らの舞台を観てみたかったなあと思ってしまうのですが、M.O.Pを観れて良かったとか、これからも観たい芝居は観ていこうと思うと同時に、観られなかったからといって「外されている」わけではないんだと感じました。いいラジオ番組が、古くからのリスナーも、今日初めて聞いたリスナーもまとめて抱きしめるような包容力があるように。いい芝居が、芝居ファンにも非芝居ファンにも優しいように。そういう芝居にはきっと演劇の神様が宿るのだとわたしは思ったし、信じています。
26年間、本当にありがとうございました。わたしは最後に居合わせただけの人間ですが、それでも心から感謝したいと思います。素敵な時間を、どうもありがとう。

あ、緑子さんは本当にいい女だったし、小市さんは本当に美しいお声で、かっこよくて色っぽくて素敵すぎました。もう小市さんと緑子さんのやりとりを思い出すだけでニヤニヤが止まらない病です。物販で小市さんを見かけましたが、あの声で「いかがですか」とか言われたら財布のひもが崩壊する予感がしたので、少し遠くから横顔をガン見するだけにしたというか、ちょっと、あの、それでもだいぶ「キャー!!」とかいう気持ちでした。