本当は酷い愛とロマンス

「心に残っている本はなんですか?」
この問いかけ、すごく難しいと思いませんか?
というのも、わたくし現在絶賛就職活動中でして。就職活動といっても教養試験→面接試験と続くタイプのものです。で、いろんなところに面接を受けに行っているわけです。そんで、今日はひとつの種類の中での本命を受けに行ってきました。大本命は別です。念のため。
そこで、こう尋ねられたわけです。
どうしよう、とわたしは思いました。そりゃ大事にしてる本はいっぱいあって、最近読んだ中では名作ならアゴタ・クリストフの「悪童日記」は壮絶に面白い話だったし、桜庭一樹の「ファミリーポートレイト」は思わずボロボロ泣いてしまうほど感動したし、児童書なら「あしながおじさん」が好きで、「夏の庭」は夏になると必ず読み返したくなるし、「西の魔女が死んだ」はおばあちゃんのメッセージで毎回泣いてしまうし、「八日目の蝉」も大好きだ。「ソフィーの世界」も何度読んだか知れない。栗田有起の「お縫い子テルミー」は人生の節目節目で何度も読み返すんだろうと思う。「ジェイン・エア」も「虚栄の市」も捨てがたい。「駆け込み訴え」にはゾクゾクさせられる。「女生徒」の美しい詩のような文体にはうっとりする。宮部みゆきの「火車」でヒロインが震える手で目録をめくりながら「お願いだから死んでいて、お父さん」と思うシーンは考えるだけで背中に震えが来るし、「魔術はささやく」の締めくくりの一言「家に帰るんだよ」は日本小説史上に残る名ラストシーンとか言っちゃうよ。
しかし、ここは就職面接なのです。
わたしは逡巡した結果、「夏目漱石先生の『こころ』です」と答えました。
勿論『こころ』は大好きな小説で、味わい深いし様々な読み方ができて素敵です。「精神的に向上心のない者はばかだ」とか「ねえ君、恋は罪悪ですよ」とかいい台詞も色々あります。雑司ヶ谷の墓地なんかで繊細そうな文学青年にこんなことを言って「…えっ」とどぎまぎさせられたら、なんか色々ゴチソウサマデシタな気分になること請け合いです。
しかし、なにぶん就職面接なので「どこで知りましたか?」「国語の教科書で『先生の手紙』の章を読み感銘を受けて全部読みました」「そうですか」的なやりとりで終わってしまいました。ここで『こころ』の魅力について滔々と説くのもなんか違うと思ったので、話は深入りしなかったのですが。しかしわたしは後悔しています。面接の内容云々はとりあえず置いといて、「好きな小説を聞かれたから教科書に載っていた名作を答えた女=あまり読書家でない」と思われたんではないかと気にしているのです。
本当は、違うんだ。
夏目漱石の小説は比較的つるりと読めるんだけど、語り手はかなり偏った人間であることが多い。語り手が他の人物について述べるときは、騙されないようにしないといけない。例えば『坊っちゃん』の主人公は「親譲りの無鉄砲で子どものころから損ばかりしている」ような人間だ。そんな人間が「赤シャツはがまんできない!やなやつだ!腐ってる!」とかいうのだから、そこは坊っちゃんの性格を差し引いて「ちょっと待てよ?」と考えなければならない。そもそも、坊ちゃんと山嵐みたいな人間が傍にいたら、大人しい性格の人なんかひとたまりもないんじゃないかと思う。うらなりだってどう思ってたか真意はわからない。悪気がないけど気遣いもない人間にひっかきまわされて出て行ったように思えなくもない。
わたしが『こころ』で一番興味深いと思ってるのは「お嬢さん=奥さん=静」なんです。「先生の手紙」におけるお嬢さんはかなり嫌なところのある女の子で、Kに気のあるそぶりを見せて先生に焼きもちをやかせようとしていたり、なんか色々と賢くてこすっからい。でも「私」から見た奥さんはおとなしくて控え目な人で、先生の真意なんかとは無縁に見える。先生は「静は何も知らないはずだ」的なことを言っているけど、あんなにずるい少女だった奥さんが、本当に何もわかってないのか。
もっと言えば、Kの気持ちに本当に無自覚だったのか。
下宿先に学生がいる。年頃の娘は学生が気になってモーションをかけてみたけれど、どうにもつれない。そのうち、学生は自分の友人を連れてくる。ひとりとひとりで一緒にいることは難しいけれど、ふたりとひとりならばそんなに違和感もない。その気やすさも手伝って、娘はある悪戯を思いつく。友人と仲良くしているところを学生に見せつけ、気を引いてやろうと思ったのだ。ちょっとくらいかまやしないわ。あのひとはあんなにあたしにつれないんだもの。その計画は功を奏したかに思えた。けれど、だんだんと友人の娘に対する態度が変わってくる。ちょっとやりすぎたかな、と思う。あたしが好きなのは学生さんで、彼の友達はいいひとだけど恋とは違うっていうか。
そう思った矢先、学生は彼女に求婚する。嬉しいのと恥ずかしいのと、友人に対する後ろめたさと。
そして、友人は突然に頸動脈を切って命を絶つ。


どう考えても、お嬢さんが何も知らずにいられるわけないだろ。
むしろ静は「Kは自分のせいで死んだ」と思っていても不思議はない。そこまでは考えないにしても、後ろめたさとか罪悪感とか、それは先生の専売特許じゃないはずだ。「先生の手紙」におけるお嬢さん評が先生の恋は盲目状態によるもので、お嬢さん=奥さん=静は元来とろい女性だったという可能性についても考えてみたけど、「私」とのやりとりを見る限りでは賢くて優しい女性のようだし。
そんな、賢くて優しい、かつて自分が惚れた女を伴侶にしておきながら人生から疎外し、定職につきもせず「子どもはできない、天罰だからさ」とか言い腐り、挙句の果てに理由も告げずに自殺する先生。最低だー!!
このままじゃ静は「自分に惚れたふたりの男を死なせた女」になってしまう。そんなのあんまりじゃないか。酷い話だ。しかし、これは思うに「恋愛から女性が排除されていた時代の話」なのであって…


という風に、何重にも考察を深められるのが夏目先生の小説の凄いところだとわたしは思っている、ということを言いたかったわけ。でも面接で本の話をあんまり深めるのもねえ。