エンドレス・ネバーランド

きょうのかんげき→少年社中「ネバーランド」青山円形劇場

少年社中を観はじめたのはちょうど20歳の頃で、当時大学でお芝居をやっていたわたしは「ハイレゾ」のクライマックス、主人公がヒロインを残してロケットに乗り宇宙へと旅立つシーンにボロボロと泣いたものでした。こんな風な芝居がしたい!と当時のわたしが思っていたものがそこにはありました。例えば「ブロードウェイみたいな」「四季みたいな」「新感線みたいな」というのとはまったく違いました。あの舞台は自分が今いる地平線の上にあって、頑張ればここまで行きつけるんだ!という憧れそのものでした。
その後、社中は本当に色々な人と観ていて、当時の芝居仲間にも勧めたり、劇団員の方とも微妙な感じでつながりができたり、そのつながりも普通に社会人やってる上では保てるのはせいぜいメール程度だったりします。6年のうちにわたしも芝居したり卒業したり就職したり退職したりとそれなりに年を重ねてきました。観る芝居も小劇場からだんだんと大手やらミュージカルやらにシフトしました。劇団も、客演を呼んだり三部作やったり主催がジャ●ーズの脚本・演出やったり歌舞伎アレンジをやったり、色々なことがあったようです。
思えば社中を観始めた頃は、いつも終わるとぐったりと疲れ果て、終演後1時間近くうわの空でした。それがいつの間にか大してうわの空にもならなくなり、ちっとも泣かなくなり、しかし良い舞台で比較的簡単に泣いてしまう自分の性格はそのままなので「わたしの求める世界は、もう社中には存在しないのかもしれない」と、寂しいながらも思っていたのです。そして、いつか「わたしの求める感動は、もう芝居には存在しないのかもしれない」と思う日が来るかもしれないと、恐れと共に思うようになりました。

正直、そろそろ潮時かと思っていたときに観た今回の「ネバーランド」。正直、やられました。

ストーリーは「ピーターパンたちがフック船長の陰謀で大人にされてしまった!」というもの。ちょっとロビン・ウィリアムズ主演映画「フック」を彷彿とさせます。あの映画でフック船長に攫われたのはピーターパンの子どもでしたが、お芝居で攫われるのはダーリング家の長男・ジョンの子どもたち。ピーターパンは救いを求めてダーリング家に来たのに、逆にきょうだいを巻き込んでしまうというわけです。しかも、かつてウェンディが縫い付けてくれた「影」は少年の姿のまま再びピーターパンのもとを離反して、フック船長と手を組みたいと言い出す始末。情けない話だ。

以下、ネタバレ含めて箇条書き

・大人になった自分をみとめまいと子どもの頃の遊びを繰り返すまいごたち&ピーターパンに比較して、ちゃんと母親になっているティンカーベルと母リリー。これは敢えてだろうな。原典でもウェンディはまいごたちに「僕らのお母さんになって」と言われているし。しかし好意を寄せている子に「お母さんになって!」と言うピーターパン。笑。でもねえ、そういうタイプの男性って本当にいるあたりがね。「わたしはあなたのママじゃない」と思いつつ彼にうんざりする女の子たちのため息が聞こえる。
・ティンク、母リリー、ジョンといった「親」キャラへの目線がずっと安定していたのが印象的だった。特にジョン。「胸なんか張れなくてもいい、子どもたちさえ無事なら」っていうのは、みっともないんだけど素敵な台詞だ。子どもたちがいたずらっ子なのにお父さんが大好きっていうのも違和感がない。
・自分を助けるためにウェンディをフックに引き渡した母に怒る娘リリー。母リリーの気持ちがわからない誇り高い娘リリーに「母様はお前が大事、だから守る」というシンプルな親心を伝えたジョンが本当に良かった。ジョンは「リアリストな堅物」という、ファンタジーなら真っ先に改心が強いられそうなタイプなんだけど、脚本全体がジョンの行動や考えを大きく評価している。勿論、ジョンもネバーランドを否定しなくなる=変化・成長してるんだけど、そこに主眼は置かれない。だってジョンは色んな事を自分でなんとかできる大人だから。もっともぶれない男性キャラはジョンとフック船長だっていうのがこの脚本の真骨頂な気がした。
・花道のすぐ傍の席だったんだけど、フック船長が登場した時のマントさばきの見事さときたらなかったよ!もう、かっこいいの!基本的に出はけをガン見できたのは珍しくて少し嬉しかった。しかし開始直後、ほぼ素の反応を見せる女優さんをチラっと見てしまって「ああ…」という気持ちになったのでした。仕方ない、舞台経験少ないアイドルさんだし。彼女は全体的に身体が使えてなくて微妙に気になった。手のおさまりが悪いというか。
・中盤で出てきた「サプライズ誕生パーティ」のギャグシーンが、あんなふうにラストに結びつくとは。涙。「私の誕生日は明日だ」という言葉の意味がきれいにつながった瞬間は落涙ものだった。しかし「腹違いで種違いの弟」ってギャグは斬新だー!!
・予定調和が様式美になる最後の戦い。ネバーランドが続くためには、フック船長とピーターパンは戦い続けなければならない。だからふたりは決着をつけないできた。けれど世代交代の儀式のためには、ピーターパンはフック船長を、どこかで慕い続けた愛しい大人を殺さなければならない。いつもみたいに笑って、鬨の声のまねごとをして、みんなの声援を浴びて。せつない戦いのシーンだった。
・大竹さん@ウェンディの語りがまたレベルアップしていた。あのひとの語りの美しさは小劇場では異様なくらいだと思うんだが。滑舌もいいし発声もよどみない。フック船長に「今日だけあなたのお母さんになってあげる」と語りかける包容力が素晴らしかった。彼女はファンタスマゴリアでの手紙の朗読も神がかっていたけれど。
・神がかっているといえばワニ神様の森さんが!あの「リドル」なんかでは主演でいっぱいいっぱいだった森さんが、あのシーンを完璧に掌握していて、ギャグも大事な台詞もテンポが全然乱れなくて凄かった。本当に社中の皆さんうまくなったなあ…感激。なにこの上から目線。他にも、立ち方や動き方のくせが随分抜けていた堀池さんとか、観るたび男前になっていくありそさんとか、未央さんの声とスケールがまた上がっていたりとか。
・ザンヨウコさんのティンクは妙に所帯じみていて面白いったらなかった。あと影の椎名君はアクションができる子だなあと。台詞回しとかにぎこちなさは残るものの、動きがキレてていい俳優だと思った。
・この芝居の主眼はずっと「ピーターパンがフック船長を継ぐ話」であり、その後ウェンディ・ジョン・マイケルがどうなったかは描かれない。でも「彼らはちゃんと大人なんだから」描かれなくてもいいんだなと思った。大人たち三人がウェンディの娘を暖かな眼で見つめているのがすべての答えだった。
・ウェンディの娘と一緒に新・ピーターパンが跳ぶシーン、この「跳び上がった瞬間に暗転するから空を飛んだみたいに見える」演出は社中では多用されてるんだけど、それでも空を飛んだ新・ピーターパンの姿があまりに美しくて見惚れてしまった。

フック船長を大人になったピーターパンが引き継ぎ、ピーターパンを子どものままだった影が引き継ぐというラストシーンの予測は比較的序盤でつくんだけど、それでも最後の戦いに至るまでに何度も泣いた。特に音の効果ってすごいなと思った。円形劇場のすべての扉にそれぞれの登場人物がついているから、そこで皆が何かを言うと客席全体がつつみこまれるみたいで。ピーターパン側のキャラクターが「コケコッコー!!」と叫ぶシーン、そしてラスト、フック船長の亡骸を抱きしめて号泣するピーターパンに「新しいフック船長の誕生だ!」とみんながハッピーバースデイの歌を歌いかけるシーン。あの声の説得力ったらなかった。まるで自分もそこで叫んだかのような、歌ったかのような感動が押し寄せて茫然としてしまった。ピーターパンが新・フック船長として、どれほど祝福されて生まれたのか、あんなに伝わる演出ったらない。あの場所であの歌に包まれる多幸感といったら、鳥肌が立つようだった。
そして、みんなの歌を引き継いで「ドントクライ、マイボーイ」と締めくくるのがティンカーベルだったことにも言及したい。ピーターパンはウェンディに「お母さん」になってほしかった。外から来た、いつか大人になるひとに「お母さん」を重ねた。でも本当は、ティンカーベルこそがピーターパンのお母さんだったんだろう。ティンクは自分の娘・ベルベルが影に恋をしたことを知って「大人になっちゃって」とつぶやく。影が新・ピーターパンとして生きるなら、新・ティンカーベルとして生きるのはベルベルのはず。そのベルベルをティンクは「大人」と言うのだから、きっとティンクは大きくなって妖精の力を失う前から大人だったんだ。


思えば、今まで少年社中で使われたモチーフの本歌取りみたいなものが多い芝居ではあった。「永遠に繰り返す王国の破滅」はリドルでも使われていたし、空飛ぶ少年が自分を見つけ直す話は「光の帝国」で、海賊は「アルカディア」にも出てきた。母娘の断絶と和解は「ハイレゾ」でもあったし。でも、それらのモチーフで少しずつ不幸になってた人々がみんな「自分の頭で考えて前へ進む」ことを選択していた。振り回され続ける内向的で自分勝手な少年の役割はピーターパンに集約され、そのピーターパンも最終的には「僕は大人になる」と宣言した。
あと、特に描き方が変わったなと思ったのは親について。社中の話に出てくる親って比較的ろくでなしが多くて、昔の男への復讐のため自分の娘を殺す母(リドル)とか、駒として利用しようとした娘に殺される母(光の帝国)とか、子殺しを繰り返す父(アルカディア)とか、馬鹿息子の王子を放りだした父王(チャンドラワークス)とか、娘を追い詰めた挙句殺される父(アサシンズ)とか。まともな親っていうと「光の帝国」の主人公の母親くらいで。あれもイロモノ的な役割の方が大きかったし。本当に劇作家に何が。結婚したとか子どもできたとかでも驚かない。うん、驚かない。
しかし「おじさん」だの「おばさん」だの劇中で呼ばれていても、劇団員さんは平均年齢30くらいだからな。井俣さんのタイツ姿もまあまあキツいけど、コンセプトによってはギリギリ大丈夫なんじゃないかと思うし。海賊につかまって重いものゴロゴロ的なことをするジョンの裸の上半身は無駄な脂肪ひとつなく引き締まって腹筋割れているし。ジョンは本気でぷよっぷよであってもいいくらいの役なのに。だから、これを平均年齢40くらいでやったらどうなるだろうって思うんです。「微妙なメタボ」が「本格的に腹が出始めた」くらいで。そのときの少女や影、娘リリーはたぶんメインキャストの劇団員よりずっと若く、ともすると本当に娘・息子でもおかしくない年齢だと思うし、そういうキャスティングでの「ネバーランド」をいつか見たいと思った。

だからお願いです。舞台というネバーランドで、子どものまま大人になって、これからも素敵な芝居を届けてください。10年後の再演を期待しています。