きみみたいにきれいな女の子

世の中本当に美人が多いと最近とみに思う。
美人というか可愛い子、綺麗な子かなあ。こないだロンハーのAKG47なる企画を漠然と見ていたんだけど、みんな結構可愛いのね。でも、あれに出てた子の一部に対しては「これなら友だちのあの子のほうが可愛いな」みたいにも思うのね。今の世の中、それなりにお金があってファッションに興味がある子なら大抵可愛いと思う。メイクの技術とかも凄いし。
しかし美人にもランクというものがあるのだ。
この世には「美しいというだけで他人より多くお菓子をもらえる」所謂Sランクの美人が存在する。そこに入れない層は「可愛い」「美人だ」と言われても大して得をしない。褒められてちょっと嬉しい程度。
かくいうわたしも当然「美人と言うだけで他人より多くお菓子をもらえる」タイプではない。だから、子どもの頃からずっと「可愛い」「美人だ」と言われる機会があっても、素直に喜べずにいた。「あの子みたいにお菓子たくさんもらえないのに褒めるなよ」という感じで。でもって思春期には「あたしなんか全然美人でも可愛くもないのに褒めないで!」と逆ギレしていたのである。
可愛くないな素直に喜んどけよ!と褒めた側は思ったろう。でもさあ、Sランクでないと褒めては貰えるけどちやほやはしてもらえないからね。なんか褒められ損?みたいな。

そしてある時気付いた。
「お菓子を多くもらえる」Sランク美人とそうじゃない女の間にある、暗くて深い谷?高くて険しい崖?のような存在に。
まあ…当然なんだけどね。美人は才能だもの。小学校のリレー選手がみんな五輪どころかインターハイに出られるレベルじゃないのと同じように。小学校のクラス会で「あの子東大行ったんだって」「お医者さんだって」がトピックになるのと同じように。集団の中で可愛い・綺麗・美人な子でも、その才能を活かして生きていけるとは限らないのだ。学年1位でも稀なんだから、学年で30位以内に入るレベルなら尚更なのだ。可愛いからって、何がどうってことはないのだ。
―――そりゃ肉食にもなるわな、女子。
自分の猟場が美貌にあるか/ないかを子どもの頃から判別する必要があるんだからな。

だからといって他人の容姿を褒めるのがいけないとは思わないけど。わたし自身、大学くらいから、褒めていただく機会があれば笑顔で「ありがとうございます」と返すようにしている。褒めた方の気分を害さずにすむし、褒められるのはやっぱりいいものだしね。褒められたいもん。思春期のわたしだって褒められるのが嫌だったわけじゃないもの。単純にそこまでの才能がないことに劣等感を感じていただけで。

でも、最早「美人」は取り立てて特別な言葉ではないような気もする。女の子の服装やメイクやダイエットが男の目意識じゃないと言われて久しいけど、それってつまり「美人を趣味にするか否か」という問題じゃないかと思う。
成績のいい子が「わたしは勉強が好きだ」と思って、資格取得やキャリアアップを志すように、運動神経のいい子が「わたしはスポーツが好きだ」と思って、アクティブ系の趣味を開拓するように、それなりに綺麗な子が「わたしは美しさへの努力が好きだ」と思って美容を頑張るだけじゃないかという。

そこにいるだけで、他人より多くお菓子をもらうことはできない。
でも、可愛いね綺麗だねと言ってもらうことは単純に嬉しい。自分も楽しい。だから美人を志す。単純にそういうことじゃないかなあ。
美人だってだけでお菓子を多くもらえるわけじゃない人間のほうが、根本的には強靭かもしれないのだよ。


おわり。