歴史は或る日、幻となって記憶の隙間で眠る

3/7「上海バンスキングシアターコクーン
以前BSで放映された舞台を観ていたく感動し、それでも二度と観られないんだろうな…と思っていたのですが、それがなにしろ16年ぶりに結集となったら行かざるを得ないよねっていうことで、観てまいりました。
正直に言わせていただければ、さすがに1幕は厳しい部分が多かった。ひょんなことが重なって上海のクラブで働くことになるといういきさつは、若さゆえのハチャメチャさがないとさすがに。なにしろあんなに噛みまくって芝居が上滑りしている小日向さんを初めて観たので「ええっとコレはコヒさんだよね…?コヒさんの声だよね…ギャグちょう滑ってるけど!」みたいな感情がふつふつと。まあ何しろ吉田日出子様が22歳の役をやるんだから…多少は仕方ないよね…
そんな感じで始まったお芝居でしたが、2幕は本当に良かったです。まあ白井中尉とまどかの仄かな恋はどうにも「熟年の」みたいな雰囲気ではあったけどさ!でもあの「暗い日曜日」を背中に向かって歌いかけるところから、バクマツに召集令状がきて…という怒涛の場面は本当に涙が出た。バクマツが変なはしゃぎ方をしながら帰ってきて、背中を向けて「赤とんぼ」を吹くシーンからの流れの後、中国人妻・リリーとバクマツのやりとり「トランペットの次にわたしが好き?」「トランペットよりもお前が好きさ」というのを聴きながら、この人はトランペットが好きなバクマツよりリリーが好きなバクマツより前に日本人なんだ、四郎のことを「どだいあいつは日本人だ」と馬鹿にしていたバクマツ自身が日本人から逃れられず、国を捨てて中国人になりすませずにいるんだな…という切なさがおしよせてきて素晴らしいシークエンスでした。
主人公の夫婦・四郎とまどかについては、ちょうど「男女の愛と幻想」について考えていたこともあって、不思議なタイムリーさが。いや特に何があったわけでもないのですが。元々まどかは良家のご令嬢で上海に訪れたのもフランス留学の寄り道のつもりだった、それが四郎の都合やら何やらでフランスに行くことができず、上海にいつく理由の最大の原因だった四郎にもいい加減にあしらわれてしまう。それでも彼女は適応力が高くて基本的に「なじんでしまう」「生きていかなきゃならないと思えてしまう」人だから強くて、どんな局面でも自分を喪わずに重宝がられる。一方の四郎は好きなことをやって好きに生きていきたい人で、そのためにまどかを犠牲にすることなんて屁とも思っていなくて、そのくせ適応力がないから時代の局面に飲み込まれて「俺を置いていかないでくれ」とすがるしかない。まどかが通訳として活躍しはじめた頃、無理やり彼女を抱こうとして棒読みで「あなたのこととっても愛してるわ」と呟く四郎が切なかった。その直後に弘田が来たことによって夫婦の時間はうやむやになってしまうのだけれど、あそこでふたり愛を交わしていたら何か違ったのかもしれないなという静かな崩壊の瞬間で、その後の会話で弘田が四郎に阿片を進めるところよりもあのシーンの崩壊が怖かったのでした。まどかの淡々とした「しょうがないじゃない、生きていかなきゃならないんだから」という台詞は、彼女が上海についたときに既に口にしていたもので、まどかにとっては四郎との暮らしも戦争のせいでジャズができずに通訳兼ホステスとして駆り出される第二次大戦中の暮らしも、そんなには変わらないんだなあ…っていうのが侘しかった。偉そうなことを色々言っておきながら、結局まどかの半分も冒険できていやしない四郎も寂しかった。
そして2幕の小日向さんは凄かったです。もう俳優・小日向文世がバリバリの全開って感じで。あの1幕の噛みまくりキョドりまくりの学生弘田は一体なんだったんだ!っていう。客席に背を向けてソファに座っているだけでえもいわれぬ存在感。四郎に阿片を進める仕草と台詞のよどみなさ。バクマツもラリーも去った上海で彼が支配者として君臨していることを微塵も疑わせない。すっと無駄のない動きで歩み寄ってくるだけで怖くてたまらない。そして最後の台詞「次に会うときは、もっと優しくしてくれよな」の色気と切なさ…はあああ素敵。
素敵と言えば白井中尉役の大森博史さんもグっとくる感じでした。なにしろ軍服がねー、非常によく似合うんだ。姿勢が良くて背が高いから!声も朗々としていて美しいし。まどかとの別れのシーン、背中に向かって歌いかけたくなる気持ちがよくわかるような立ち姿でした。ああ素敵。
ラストシーンのまどかの幻の暖かくて悲しくてやるせない空気に思わず涙が止まらなくなりました。戦後の日本は進駐軍の滞在によってジャズマンは非常にもうかる仕事になるんだけど、四郎もバクマツも日本に戻ってジャズはできない。そういう背景もまたせつない。あの幸せだった時代をまどかは思い出すけれど、彼女は結局四郎を捨てられないし、だからといって四郎のように幻の中に逃げ込むわけにもいかず、ヒューマンスキルの高さを活かしてどうにか生きていくしかなくて、しかも長期滞在で中国語も話せるようになった彼女はたぶん生きて行けてしまう。その強さが悲しいなと思いました。
芝居後のカーテンコールでおっさんがずらっと並んでSing Sing Singなんてやってくれるもんだから、わたしはもう嬉しくて興奮しまくりんぐでした。だって串田和美クラリネットを!笹野高史がトランペットを!小日向文世がアルトサックスを!みんなで演奏しちゃうんですよ。スウィングガールズならぬスウィングオールドボーイズだよなあと思いながら、小日向さんはスウィングガールズ上野樹里(アルトサックス担当)のお父さん役だったよなー、笹野さんも出てたよなー、矢口監督狙ってたのかなーと思ったのでした。
終演後にロビーでライブまでやってくれて、非常に幸せになりました。間近で小日向さんや笹野さんがなごなごしているのを観るのは、アイスショーフィギュアスケーターの可愛いちゃんたちがなごなごしているのを観るのと同じくらい、いやそれ以上に「きゃ♪」という感じで、わたしは20代女子として大丈夫なんだろうかという疑問にかられましたが、素敵だったんだから仕方ない。