Heart of Gold〜バンクーバーオリンピック 男子シングル 結果〜

大変なことが色々起こった、本当に面白い大会でした。色々なことが頭をよぎり、その中で一番は「心・技・体」だったと思います。プルシェンコの「技」が完璧なら彼が優勝していただろうし、ランビエールの「心」が完璧なら高橋大輔を抜いていたと思う。けれど結果としてゴールドに輝いたのはライサチェクであり、彼はクワドを跳ばなかったけれど一番「心技体」が揃った選手だった。
優勝 エヴァン・ライサチェクアメリカ)
SPが終わった時点で一番「優勝するかもしれない」と思ったのは何を隠そうライサチェクでした。高橋君はやはり体力面での不安が残るし、プルシェンコは今のジャッジが求めているプログラムを滑っていない。ライサチェクはクワドこそ回避したものの、それ以外の部分ではまったく申し分のないプログラムを、まったく申し分のない技術と心で演じることができる選手。正直わたしは「ラプソディー・イン・ブルー」のほうが好きなのですが、昨日の「火の鳥」も今日の「シェヘラザード」も強い心に満ちていて非常に見ごたえがありました。
彼はインタビューで「トリノのSPの失敗がずっと僕の心にあった」と答えていて、五輪の借りは五輪で返すしかないんだなあと思ったのですが、それを返してしまったらジンクスも魔王も何も怖くはなかったんだな。なんて強い選手なんだろう…と感心しながら見ていた。
彼がクワドを跳ばなかったことで「時代の変化が決定的になった」とする意見もあるだろうけど、ライサチェクに勝利するためにはクワドを入れて彼以上のパフォーマンスをすればいいというだけの話で、だから高橋大輔がノーミスなら彼に勝てていただろうし、プルシェンコだってすべてのジャンプがクリーンなら勝てていたっていうことなんで、大した問題だとは思っていないです。だってもう答えは出ているもの。「じゃあクワド跳んでノーミスしろよ」っていう。
2位 エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)
やっぱり凄いと思った。一方で、やっぱり彼は「今」のスケーターじゃないんだなとも思った。プルシェンコを見て「技術は凄いよ」と思ってしまうあたりに。エフゲニー・プルシェンコっていうのはもっと絶対王者としての風格があって、あり得ないほど強くてプログラムも滅茶苦茶なんだけどどうしても目が離せない、未知との遭遇のようなスケーターであるべき人で、でもそういう存在ではなかった。そしてそのことは、彼が一番よくわかっていたんだと思う。ただ、彼に勝てたのは自分に負けなかったライサチェクだけで、他の選手はみんな負けているというのがミソ。彼の試み―――「ねえ、いいの?本当にこのままでいいの?」という問いかけは明らかに様々な人に答えをもたらした。今回クワドにトライした人は多かったし、ライサチェクだってパトリック・チャンだってずっとクワドを跳ばなくて済むとは思っていないだろう。そういう「答え」を出させるスケーターは本当なら現役の誰かや誰かであるべきだったんだろうけど、こればっかりは仕方ない。
3位 高橋大輔(日本)
終始きれいな表情をしていた。素晴らしかった。こういう風に表現したい!という方向にすべてがぴたっとはまる美しさを体現する選手がそこにいた。「すべてが無駄にならない」というのはあくまで彼が貪欲だからで、トリノからの4年間、まずはニコライ・モロゾフが彼のシャイな仮面をリンクの上ではぎ取り、長光歌子が人としての成長を終始見守ることですべてを支え、本田武史宮本賢二やパスカール・カメレンゴや数多の人々が及ぼした影響の道程の果てがそこにあって、ああ…きれいだなと思ってしまったのだった。あの2分半と4分半を自分のものにできた数少ないスケーターのひとりに高橋大輔がいたというのは、偉大なことだ。
4位 ステファン・ランビエール(スイス)
SPはのんき者の英雄、FSはのんき者の学生というキャスティングはどんぴしゃだったのだけど、ウィリアム・テルは思わず「ずるい!」と叫ぶほどにジャンプのミスを帳消しにする出来だったのに対して、FSはイェテボリの再現か?というような切れた演技で、どうしようかと思った。これが最後なんだろうか。こんなパフォーマンスが最後だったらもったいなすぎるぜ。あんたはもっとコマさなきゃ、客をジャッジを。
5位 パトリック・チャン(カナダ)
「次につながる」演技というのはこういうことを言うんじゃないだろうか。怪我をして、母国開催のプレッシャーがあって、コーチが体調面での不安があってローリー・ニコルという、そりゃ凄い人だけどあんたちゃんとしたコーチは初めてじゃんって人になって、それでもこれだけのパフォーマンスをしたのだ。パトリックは。それは素晴らしいことだと思う。彼が成熟したパフォーマーとして迎える五輪はソチなので、そこではきっと誰もが認める美しいスケーターになって、若手のナマイキな選手に「僕だって昔は多少のことは言ったけどね、そんなの何にもならないよ。勝負はリンクの上にしかないんだから!」と返せる男になっているといい。
6位 ジョニー・ウィアーアメリカ)
彼こそスターだ。点が伸びなくてブーイングする客をたしなめ、いつもキラキラしていて、魅力的で、パフォーマンスも抜群。ジョニー・ウィアーのひとつの方向性が花開いた。それがジャッジのお好みかどうかは置いておいて。でもあたしは好きよ、ジョニー。
7位 織田信成(日本)
中断後のスピンが彼の五輪のハイライトだったと思う。もともとPCSでトップとの差がついてしまう選手だし、明らかにガチガチになっていた。彼がもし靴のトラブルなく滑り終えていても、この順位だったかもしれない。それでもあのスピンと中断後の演技は、彼の負けん気が一番出た瞬間だったんじゃないだろうか。今夜は眠れないくらい悔しいだろうけど、もうやるべきことはわかってるんだろうし、これで大きな忘れ物ができちゃったから、行かなきゃ。ソチへ。
8位 小塚崇彦(日本)
魅力溢れる演技でクワドも決まって、もうちょっとはずんでや!っていう点数という、あくまで若手らしい結末にニヤリとしてしまった。今季の彼はイマイチ調子が上がらなかったけれど、やっぱり昨季明らかになった「追われる立場の辛さ」がこれからどんどん出てくると思う。表現面でも「もっと」と期待を込めて言われることが増えるし、下からの突き上げもきつくなってくる。可能性も才能も技術も魅力もクワドも全部持ってるスケーターになった彼が、これから、何を選びどう育っていくのか。楽しみになってきました。
≪SPで沈んだトップ陣の方々≫
SPとFSの間、ずいぶん辛い一日を過ごしたと思う。3人とも明らかに表情がヤバい感じだった。それでもアボットは、ああいう表情の彼が陥ってしまう負のスパイラルを越えてできることを精一杯やったし、ジュベールもジャンプが…(涙)だったけど、最後の気迫あふれるステップはトップ選手の誇りが溢れるもので、音楽と衣装も相まってボロボロになっても荒野に大地を踏みしめて立つような美しさに満ちていた。立ち直った彼らを短期スパンで見ることは叶わなかったけれど、それでも彼らの魅力は伝わって、心から感謝を表明したいと思った。が、トマシュは…彼はこれからどうするんだろう。明らかに集中できないまま五輪を終えてしまったダメージは相当深刻だ。どうにかして立ち直って、ワールドのメダルをぜひ。
≪躍進した若手の方々≫
次のワールドからソチの直前までのトップ陣争い、面白くなりそうです。いきなりクリーンなクワドを決めてきたシュルタイス、あっという間に男の色気を漂わせはじめてしまったボロデュリン、独創的なプログラムを踊りまくってお客さんを魅了したアモディオ、リズム感と不思議な色気すらあるデニス・テン、俺様具合がイイ感じに練りあがってきそうなブレジナ、まだ荒っぽいけど野性的な魅力に溢れたフェルナンデスなどが大活躍して、本当に面白かった。みんなそれぞれ個性的だし。よく「新採点は個性が…」みたいな言い方されるけどさ、これをご覧よ。なんか不思議かっこよ面白いじゃない。しかもクワド習得中な面々が多いし。
よく「新採点のせいで個性的な選手とプログラムが減った」「新採点のせいでクワドの価値が下がった」と言われるけれど、前回も言ったようにそれは単に過渡期ゆえのジレンマというやつで、クワドを跳んでクリーンな演技をすることをみんな究極的には目指しているのだ。プログラムにしても、デニス・テンのガツンと洒落てるシング・シング・シングは旧採点的だと言われるタラソワ先生だし、フェルナンデスの酔っぱらいステップはモロゾフ作だし、振付師だって「点は取れるけれど個性的で魅力的なもの」を目指してくるに決まっている。仕事でやってる人間なめんな。商業デザインの中にだって芸術性があるように、点が取れることと芸術性は対立するものじゃない。総合力と技術だってそう。これからの4年間、彼らが「すべてを持っている選手としてソチでトップ認定される」ためにしのぎを削るなんて、面白すぎる。その中にシュルタイスがいることも面白いね。クワド跳んじゃうんだもん!まさかあのプロで「観客と一体になって」という実況が聞けるとは。


今回の五輪のキャッチは「with glowing heart」ということですが、ペアも男子もトリノのことというのが重たく肩にのしかかっていた人たちで、それを越えていきたい、もっと強くなってメダルが欲しいという心の強さが勝利を呼んだような気がしました。女子もアイスダンスも、すべてを乗り越えて強くなってきた人々が美しい争いを繰り広げますように。