わたしはその人を先生と呼んでみる

売っている本屋を見つけたので、購入して読みました。

キス・アンド・クライ

キス・アンド・クライ

元々もっと早くに出版する予定だったのを後倒しにしたらしいので、去年と今年の生徒(織田君や村主さん、村上君)についての記述は少なくて、日本の生徒の記述は荒川さん、郄橋君、美姫ちゃんが中心なんだけど、それでも充分先生の哲学はわかった。わかった…というか、常々思っているのだけれど彼の芸術や教育に関する考え方には個人的に共感する部分が多くて、それが言語化されて頭に入ってきた感じ。
芸術論としての共感ポイントは「魅せ方の大切さ」について。どれだけ良い素質を持っていてもアピールしなくては始まらない。自分をちゃんと売り込む必要があるってところ。「特に何もしていないのにその人のところに光が差して観客がみんな吸い寄せられてしまう」なんてことは絶対にありません。いや、華のある人っていうのはいるけどさ、上を目指せば目指すほど周囲は華のある人だらけなわけで、そうなったらどれだけ売り込み力があるかが実力に響いてくる。「恥ずかしい」とか言ってる場合じゃない。教育論としては、わたくし最近「褒めて伸ばすタイプと叱って伸ばすタイプの人間はいるなあ」とつくづく思うのですが「叱って伸ばす」タイプへの対応が面白いなあと。マイペースで日進月歩型の郄橋君と起伏の激しさもテンポを作るには不可欠な安藤さんっていうのは、ものすごい良いサンプルなんだろうなと思いました。
しかし「試合前に一度は泣かないとうまくいかない安藤美姫」には共感せざるを得ません。私がそうだから。損な性分ですが、本当に追い詰められる必要があるんだもの。泣くの嫌だけど。要は「叱って伸ばされる」タイプの人間。「そうそう!いいじゃない!今度はもうちょっとこうしてみようか!」と言われる方がいいタイプと、「どうしてそんな風にしかできないんだ!君はもっと素敵にできるだろう!」と言われた方がいいタイプっているし。しかし後者のタイプって、言われてることは一緒なんだけど損した気分になるのよ。特に今一緒に練習している織田君は明らかに褒めて伸ばすタイプ…というか、褒めてあげないと駄目になっちゃうタイプだろうから、彼女すげー損した気分になってるんじゃないかなあと「真冬の挑戦者」の感想と同じことを思った。
あと最近「ネットの書き込みで批判されてるのを見て…」的な話をすることが多いけど、あれ多分意図的にやってるんじゃないだろうか。言われたら言われたでずどーんとへこむけど、へこんだ後で「うっさいわね!あたしはねえアンタ達に褒められたくて滑ってるんじゃないのよ!あたしの何がわかるっていうのよ!見ててごらんなさいアタシの実力を見せつけてやるからあああ!」と思うためなんじゃないか。もっと言えば、そういうものを目にしても、自分には信じるべき人や物があるから大丈夫だと思っているんじゃないか…っていう。ま、叩く奴はクソだというのに変わりはないけどね。でも批判されて泣き明かしてから途端にパワーアップする人間っていうのもいるのは経験上わかります。
あと、意外といえば意外だったのは、郄橋君との別離と安藤さんの07-08シーズンについて彼自身の反省が読めたこと。郄橋君とのことについては、彼のファン(かつ現在ニコ先生を嫌ってる層)にぜひ読め!と言いたいね。一時の感情をダダ漏れさせる先生にも無論非はありますし大人気ないと思いますが、後々になって振り返ってみれば細かいミスコミュニケーションの連鎖が原因であり、選手本人には「色々ギフトをくれてありがとう」という気持ちになれたのは素晴らしいことです、お互いにとって。「すべては今につながっている」と思いあっている以上、ファン含め外野は一時の感情で色々なことをクソミソに言うべきではないし。おばちゃんやヤグディンさんとの話も然り。安藤さんの07-08シーズンについても「努力家である」ことと「正しい練習ができている」ことは必ずしもイコールじゃないんだよ〜と痛感した話が書かれていて、興味深いなと思いました。
まあしかし、逞しい人だ。生い立ちに関するエピソードで「父親は一時期『骸骨作り』の仕事をしていて〜」みたいな話に人体模型のことだと思ったらモノホンの死体を(以下略)な仕事で、そこに「ギャヒィ!」と思ったら「おかげで医学もかじっていて腰を見てくれたりした立派な父さ!」みたいな語り口に落とし込まれていて。まあ…半端ないよね。先生のこと嫌いな人は嫌いでしょうが、先生は出来事に対して怒ったりわめいたり通りすがりの人と喧嘩(いい大人が何をやっているんだと思ったが)したりしながら、必ずその後では「次に自分に何ができるだろう?」と考えられる人で、そういうタイプの人の前ではアンチすら教材にすぎないのだなと思いましたです。短絡的に「この人きらーい!理解できない!」と思ってしまうより、前進の糧にできる人の方がよっぽど強いよね。イェテボリワールドでの棄権に胸をしんしんと痛めながら「長期的に見ればこれもバンクーバーへのメリットになるかもしれない」と思ってしまうのだから。出来事はすべて起こるべくして起こってしまうので、そこを逃避せずに「学び」に変えていく先生の究極的ポジティブシンキングマンっぷりには、学ぶところが多かったです。
とりあえず、騙されたと思って読んでみればいいんじゃないかしら。不愉快な思いをすることはないと思うよ。それでも先生なんて大嫌い!という人は…嫌なことすら糧にしちまう先生の勝ちってことさ。