銀の龍の背に乗ってきたニセモノ天使

リバイバル映画館にて「ディア・ドクター」を鑑賞。
「ゆれる」のようにひりひり痛い感じは薄い、くすくす笑えるシーンが多いあったかい映画だったのに、気がつけばずっとラストシーンの意味、あのひとたちの「幸せ」の意味について考えている。そういう映画ってやっぱり素晴らしい。
とにかく伊野のキャスティングを笑福亭鶴瓶にしたっていうのが映画のすべてを決めていて、他の俳優さんならきっと考えて考えて試行錯誤の上に「誰からも好かれるおっちゃん先生」を演じるのだろうことがすべてナチュラルに存在してしまうのはずるいなあ。この感じは他の誰にも出せないと思った。笹野さんや國村さんや小林薫さんがドクターでも成立しなくはない。でもこういう味わいは出せないだろうし、あのラストは成立しないな。あの先生見てて思いだしたのは「俺たちは天使じゃない」のラストの「やっぱりおじさんたちは天使よ!」って科白だったりもする。でも誰も「ニセモノでも良かった、あの人に帰ってきてほしい」とは言わないんだよね。みんな騙されたことに対しては傷ついている。でも、本当は怪しいと思っていた気持ちも、ニセモノでもいいから帰ってきてほしい気持ちも全部あって、その全部があるからこそ決定的なことを言わない脚本はうまいなって思った。
あと八千草薫さんのヒロインっぷりが良かったです。本当にあの人はいくつになっても可憐で清純なお姫様で、彼女がお化粧するシーンなんてどきどきしたもんなあ。骨の髄までヒロインになれる女優って今の若い人でいるかっていったらいないもの。ヒロインを演じられる人はいても。昔専業ヒロインだった人ってすごい。そりゃ今でも吉永小百合を圧倒的に支持する層がいるわけだわ。うまいとか下手を超越してヒロイン。むふー。
しかし瑛太は「嫌われ松子の一生」の甥っ子的なポジションかと思ったら少し違ったのですが、いい身体してんのにどっかひょろんとした感じとか、熱いような醒めたような感じで細かい芝居をしていて、やっぱこの人うまいよね。これで時代劇がもっと似合うようになるといいんだけど。余さんと香川さんはちょっと勿体ない感じの使い方だったような。良かったんだけど、あの人たちにしては普通の芝居。
伊野がドクターを騙り続けた理由ははっきりと語られないんだけど、そのせいで棄てられた白衣とか、親への電話とかが深く訴えてきて、そこで彼が何を思っていたのか考えてしまう。鳥飼さんへの思いも村の人への思いも、言葉にできるようなものじゃないけど、それでも深く思っていたんだろう。あのニアミスで「気付かないで」と思ってしまったのは、彼の思いが何から出たものにせよ、踏みにじられる類のものじゃなかったからだ。
ラストに関しては意見がわかれるところかもしれないけど、昔から天使はヒロインの元へ帰ってくるものと相場が決まってるのでね。あれでいいんですよ。きっと。