道化師の幻想

id:poolame様のエントリーを読んで。

「あーあーあーあー!」となってしまった本日・仕事中。ポシャったほうのモロゾフ四年計画。
某テレビ局さんには、イケメンまじゅちゅしとか言われていましたが、高橋君ご本人は比較的コンプレックスが強くて気持ちの小さい、良くも悪くも控えめな、フリーダムな日本の選手たちのなかではもっとも日本人的なところのある人でもあるわけで。彼のスタイルがよくない・身長が低い・正統派二枚目ではない…という部分を逆手に取ったのがモロゾフだったのか、と。
・恋人を他の男に抱かれる青年の独白(この場合、主人公の青年はとんだピエロである)「ロクサーヌのタンゴ」
・愛しい娘を美しい男に奪われる怪人の悲哀(ファントムは痛々しいまでにピエロである)「オペラ座の怪人
・どうみてもオデットやジークフリートではなくロットバルトかオディールという異形役だった「スワンレイク
ああもう、つまりそういう方向性なのかよニコライ先生。


四年計画そこまで考えていたならなぜ浮気したんだ…まあ…仕方がないよな。ボーン様が奥方でも浮気する男だもの…モロゾフ


モロゾフを離れて高橋がどこまでやれるのかという評価は1シーズンを持ち越して次のGPSで明らかになるのですが、「正しく王子様」ではない方向性が本人もしっくりくるようですし、だから「道」とか選んだんでしょうし、ひとりのスケーターが自分に合ったものを見出すまでにどれほど回り道をしなければならないかを考えると、モロゾフ先生はいい仕事をしたといえるんじゃないですかね。

安藤があんな感じになり、高橋がらみで中学生男子のようにぐれ、ザレツキーズともめ、面倒みなきゃいけない生徒が増え、明らかに振付師的モチベが低下していた去年より、結果アダムまでいなくなり、振付依頼が減り、フレルカ解散、もう今年は四の五の言わず仕事ちゃんとやる&日本スケ連と本腰入れて付き合うしかないと腹を括った今季のほうがモロゾフさんはいい仕事をすると思いますよ。願望こみで。

ポシャらないほうのモロゾフ四年計画は、それなりに進行中でよろしいと思います。昨季は結果オーライという気がしなくもないが(ジゼルとかオルガンとか)、SAYURIは秀作だったと思うよ。表現面でもHurtをやった意味がようやく活きてきたと思うの。

アギレラ「Hurt」のプロモ→http://www.youtube.com/watch?v=lbcltLf2VHo

「父親の訃報を受け取った踊り子が舞台裏でむせび泣く」という悲哀を描いたもので、これもまたある種の道化師プロ。なお安藤さんの場合は、スケートを始めた年に父親が事故で急逝したというバックグラウンドもあるわけで、そんな人にモロゾフ先生はこのプロをあてがったという。(一家の大黒柱を失ったのと同じ年に、長女の天賦の才が見つかる家庭って…すごく壮絶です…)

演技レッスンの一環に「自分の体験を語らせる」というものがありますが、Hurtはそういう意味があったんじゃないかとずっと思っているわけです。みんなの前で自分が体験した嬉しかったことや悲しかったことを語らせる。それがうまくはまると、しゃべってる側も聞いている側もだだ泣きになったりする、イコール、感動を生み出し人に伝播させることに成功する場合がある。これを「書かれた台詞」で「舞台上」でできるようになれば、演者として申し分ない。それと同じようなものを、特にNHK杯のHurtで感じた。あれきりHurtを封印したのも、だからこそじゃないかと。


また別の道化として挙げたいのが織田信成氏の「仮面舞踏会」。あれは「男の嫉妬」の彼にしかできない表現だなあと思って好きだったのですが、この「嫉妬」って概念、「死の舞踏」やエリザベートTod(死)と同じようなやつだよね。観念の擬人化。

彼の仮面舞踏会は、主人公にしか見えないけどずっといる「何か」みたいだと思う。主人公の前にふわっと現れ、主人公が後で誰かに「あの紫の服の彼はどこだい?さっきまで話をしていたんだが。」って聞いたら「そんな人いなかったわよ。あなたずっと一人でいらしたじゃない。」って笑われる、そういうタイプの。曲の重厚さと反するような彼独特の浮遊感やスタイルのよさが活かされていて、私はすごく好きだった。
ドリアン・グレイの肖像だったら、主人公ドリアン・グレイになるタイプが高橋やアダム、ドリアンを唆し破滅させるヘンリー卿を演じるタイプが織田だというのはわたくしの妄言。