クロニクル・オブ・ザ・ガール

日経新聞の夕刊に月〜水の3日にわたり、安藤美姫選手のインタビューが掲載中です。昨日知ったので買い逃しましたが、今日はきちんと買ってきましたよと。
トリノtoバンクーバーを追いながら彼女の軌跡を追っていくという内容のよう。昨日はトリノのこと、今日は門奈裕子コーチの談話を踏まえながら、日本での練習と彼女のジャンプ、クワドについて。
トリノ直後「二回転すら回転不足だった」ところから三週間で普通に戻してしまうという身体能力はやっぱり驚異的だと思う。むしろあの不調はなんだったんだろう?という感じすらする。いろんな歯車が全部かみ合わなくなってしまって、周りの報道だけ過熱して、それはさすがに辛かったろうな、と。当時高校三年生の、周囲は進学とか恋愛とか友情とかに悩んでいる中で「人生とは」「スケートとは」について問わなければならなかった、問う前に闘わなければならなかった彼女の運命って、やっぱり半端ないよなあ。
門奈コーチいわく「浅田姉妹と安藤美姫のジャンプ合戦は圧巻だった」とのことだけど、そりゃそーだわ。よくもまあ才能がぎっしり揃ったもんだ。

今、ちょうどリビングのテレビで「Dr.コトー診療所2006」が流れているのですが、吉岡秀隆という人は「北の国から」の純の思春期、「男はつらいよ」の満男の思春期、そして自分自身の思春期を経て俳優として成長した人間なわけで、そりゃ芝居にとりつかれるよなと。あの人は絶対に役者をやめられない人で、だからこそ自嘲気味に「いつだってやめたい」といってのけられるんだよな。
四日間の奇蹟」のときにピアニストを演じるにあたってピアノを猛特訓&月光を弾けるようになったそうだけど、深夜に彼がピアノを練習してるのを見て当時の奥さん(あえて名前は伏せる)が気でも狂ってしまうんじゃないかと心配したっていうエピソードはさもありなんと思った。スケートにしろ演技にしろ、好きとか嫌いとかやりたいとかやりたくないを越えて、その場に立つべき人というのは明らかに存在していて、それこそが天賦の才なんじゃなかろうか。

フィギュアスケーターの、主に女の子たちの様々なエピソードを聞いて思うことは、彼女らが「もう無理」「諦めた方がいいのかな」と思った時にも、彼女たち以上に彼女たちのスケートへの愛を信じている人がいるという深さです。それは主に師匠や両親なのだけれど。彼女たちにとってはスケート=自分自身なのだろうし、自分が自分を好きじゃないときも自分を好きでいてくれる人がいるというのは非常に大いなる愛情だと思いました。